2015年7月5日日曜日

一年目女子のビジネスダービー10

9.変化

5月18日。
その日は新人の小林が別の先輩に同行しているため、陽子は一人で山村書店の本部を訪ねた。今日も丸山と山中が同席した。

「…昨年度の実績について、ご報告申し上げます。4月末にようやく確定しましたが、会社全体の決算では売上が前年をクリアすることができました。ベストセラーの売上が大きく貢献しました。3月1カ月間で20万部の重版をして、それがほとんど納品されましたし、返品がほぼありませんでした」
陽子はT出版全体の説明から始めた。

「今期に入って4月のデータも確定しました。全体では前年比で160%を超えています。ベストセラーとその関連本が引っ張った上での売上です。そんな中で、御社の売上は180%を超えました。これって凄い数字です」
山中がありがとうございますとお礼を言うと、丸山がおかげさまでと深々と頭を下げる。

「…商品供給面で山岡さんが頑張ってくれたおかげですよ。3月末に関連本の注文をしたでしょ? あのおかげでうちの中型店にまで平積みが広がったし、その効果も上がっていると思いますよ。スタートの月としては申し分ないですね」
ただし、と丸山が続ける。

「昨年はこの時期売れているものがなかったし、前年を下回っていたから、その辺も影響していると見たほうがいいかもしれない」
理屈を言えば確かにそうだった。その言葉がちょっと自虐的に聞こえたのか、山中が丸山さん、と語気を強めた。

「確かにその通りだと思いますが、今回は素直に喜びましょうよ。ベストセラー効果で前年比が上がったことは事実ですから。ね、山岡さん」
山中の突っ込みは切れ味が鋭い。

「はい、素直に喜びます」と、丸山が急に敬語になったのがおかしくて、陽子と山中は顔を見合せて笑った。
…あれ?
この二人、ちょっと雰囲気が変わった?

変化
「実はね山岡さん、私は嘱託社員になったんです。5月16日からの組織表を見ると、私が山中さんの部下になったような位置に表記されていました。4月に異動してきた山中さんはこれまでは一番下っ端でした。つまりこれからは山中さんの部下として、素直に言うことを聞かなければならないと考えています」
…そうなんだ。

それは大変だ。二人とも…
「そんなことありません! 山岡さん、丸山の冗談ですから。今でも私は丸山に仕事を教えてもらっているわけだし、全然、意味が違います!」
意味が違うとか、いや違わないとか、そんなやりとりに付き合っていると、また1時間半になってしまいそうなので、陽子はそろそろ本題にと切り出した。

「…えーと、来月の新刊なんですが、実は丸山さん好みのものはありません」
そう正直に言いながら新刊案内を出し、二人に渡した。
「…確かに。大きな部数の本は、就職物の他に2点しかないねえ。就職関連は昨年実績で配本するんでしょ?」
サッと目を通した丸山が尋ねた。
「そう考えています」

「この、20行目の本はS地区向きかな?」
「はい。店長から50冊、手配してくれと言われています」
「そしたら、B店にも50冊、付けておいてください。都心向きの内容だから沿線方面は配本で様子を見ればいいかな。それから28行目の本ですが、もしかしたら売れるかもしれないので、これもB店に50冊付けてください。すぐ売れるような店があったらB店からフォローさせます。あとは配本で様子を見て、売れたら追加するパターン、かな」
 
そこまで言うと、丸山が「あっ、しまった」と山中を見た。
「調子に乗って勝手に決めてしまった。…今回から山中さんに決めてもらわないといけなかったのに」
丸山がすみませんと山中に頭を下げると、もう遅いですと山中が笑った。

「私も同じような感覚でしたから。ただ、ちょっと気になるのは、桜田さんと藤本さんの本です。丸山さん、この辺はどう考えますか?」
すると丸山は、ナイス質問ですとおどけた。

「桜田さんは一時の勢いがなくなってきましたので、まとめて取ってもなかなか厳しい状況が続いています。藤本さんは改訂版なので、それほど期待はできないと考えました。いかがでしょうか?」
「わかりました。では、そのようにお願いします」

陽子はまるで漫才を見ているような感覚だった。
「…それと、ビジネスダービーの全店キャンペーンですが、丸山さんからいただいた割り振り表で、来週25日の取次搬入で手配させていただいております。さすがに2000冊だと、一店舗当たりの配本数が大きくなりますね」
「そうですね、ちょっと冒険しすぎでしたかな。でもま、大丈夫でしょう。…山中さんはどのように判断されましたか?」
声がうわずっている。誰の物まねなんですか…

しかしそんな振られ方にも山中は、決めたことですから、あとは売るだけです、と強く宣言した。
「かしこまりました。そのようにさせていただきます。丸山は反省しております」
見ると、山中は顔に赤みを帯びていた。…怒ってますよ、丸山さん。

「…前回と同じように、丸山さんあてに第1位帯を50枚ほど直送させていただきました。届いていますか?」
「はい、私の机の上に、帯さまが鎮座ましましてございます」
さすがに陽子は噴き出した。漫才を超えて何だか時代劇じみて
きた。
「いつまでおちゃらけているんですか! 少し真面目にやってください!」
山中の今度の突っ込みには、ちょっと厳しさがあった。

確かにその日の丸山は、ちょっとおかしかった。鋭い解説や戦略を提案する何時もの丸山とは、とても思えない雰囲気だった。定年退職して嘱託という身分に変わったことが、何か影響しているのだろうか。山村書店の本部をあとにしながら、陽子は考えた。

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