2015年7月4日土曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 9

8.勝利

5月6日。
午前10時からの簡単な連絡ミーティングを終え、席に戻ったばかりの陽子は、1分前に到着したばかりのメールの添付ファイルを開けた途端、ガッツポーズで立ち上がった。

それは丸山から送られて来た、今回のビジネスダービーの最終結果報告だった。
「やったあ!」
その大声に営業部中が振り返った。打ち合わせで来ている他部署の連中もポカンとしている。すぐにデータをプリントアウトし、部長席に持って行った。

「やりました、1位です。れ、連覇しました!」
声が震えていた。
「良くやった、頑張ったな」
山本が笑顔で立ち上がり、陽子の肩をポンポンと叩いた途端、涙があふれて来た。やばいです。ここで泣いちゃだめ。必死に抑えるが、涙は勝手に流れ始めた。

あの日から…。
次は自分の力で1位を取ると懇親パーティで宣言してから、5カ月が過ぎていた。
良かった、本当に良かった。安心した。

佐藤が笑いながらティッシュをくれた。ありがとうございます。小林ともう一人の新人が、熱いまなざしで陽子を見ている。…顔凄いから、あんまり見つめないで。

日別の売上推移を見ると、前半はモタモタしていたが、その分、後半の強い伸びが確認できた。中吊りの袖広告を出した後、明らかに売上が上がっていた。「秘策」が通じたことが、陽子には嬉しかった。最終日の2日前の逆転、というのもドラマチックだった。

店別の実績ではA店がダントツの1位で、T出版の本を一番多く販売していた。著者の地元であるという効果に加えて、著者の写真付きPOP効果が大きかったのだろう。
〈店長に感謝しなくちゃ〉
A店は積極的に応援してくれた。あとでお礼に行こうと陽子は思った。

営業部で喜びに浸っている時、丸山から電話が入った。拡販キャンペーンの打ち合わせの最終確認だった。その日、一気に3社回ると丸山が話していることもあり、丸山の都合のいい時間で会議室を確保した陽子は、出席して欲しいメンバーに連絡を取った。

午後、陽子は早速、A店を訪問した。木曜日ということもあり、店長もビジネス書の担当者も店にいた。事務所を訪ねると、彼らはすぐに出てきた。
「山岡さん、良かったですね」
嬉しそうな彼らの顔を見て、陽子は本当にありがたい気持ちになった。

「大変お世話になりました。おかげさまで1位を取ることができました。この店の売上が牽引していただき、全体の結果が出たんだと思います。ありがとうございました」
陽子は深々と頭を下げた。

「いやいや、うちは著者の地元だし。…その、写真付きのPOPも効いたかもですね」
店長が振ってくる。ですよね、店長。顔がニヤついてますよ。
「すぐに作っていただいた時には、正直びっくりしました。著者も喜んでいました。それで、今日はお礼と言っては何ですが、お菓子を持って参りました」

皆さんでどうぞと、陽子は伊勢丹で購入したお菓子の袋を店長に渡した。
「わあ、綺麗な袋ですね」
女性のビジネス担当者の顔がパッと明るくなった。それは営業部に配属されたばかりの陽子に、加藤が教えてくれたお菓子だった。

包装のデザインも味も、陽子自身、かなり気に入っている。いやあ申しわけありませんと、今度は店長が頭を下げた。
「T出版は凄い追い込みだったんじゃないですか? 最後は2店舗でデモ販までなさったそうで」
そうなんです。店内放送までさせていただきました。

「…デモ販自体はそれほど売れたわけではないんですが、何というか…やり切った感というのが、自分の中で感じられました」
とにかくおめでとうございましたという言葉を背に、陽子は店を出た。

そうだ。
デモ販させてくれた、あの2店舗にも行こう。
明日に延ばさず、今行こう。というか、今すぐ行きたい。
駅に向かう足が次第に早まった。

打ち合わせ
夕方近くになり、丸山と山中がT出版を訪ねてきた。小林が二人を会議室に案内し、何人かの間で名刺交換も終わり、早速本題へと入った。

「…都心の店では第1位の本が店によって拡散しており、特にこれといった集中はありませんでした。御社の本は沿線の小さな店の多くで1位になっています。これは明らかに袖広告の効果だと、私は判断しています」
丸山さん、素敵です。そこ、集中してください。

「…2位は最終週の売上が落ちていますね。もしかしたら、ビジネスダービー開始前から売れ続けていた反動かもしれません。まあ直線に入ってからの叩き合いの差が、ダービーの明暗を分けたと考えています。最終日の2日前の逆転でしたから、鼻差かあるいは首差とも言えるような決着の付き方だったのではないでしょうか。スリリングでした」
丸山の分析に全員が聞き入った。

では拡販スケジュールの確認をと丸山が促すと、営業部長の山本がどうぞと答えた。
「来月、6月から全店キャンペーンを開始しますが、5月25日あたりに取次へと搬入していただきたいのです。その前に『第1位帯』を作成し、帯巻きで出庫していただきます。帯の作成と帯巻きの日程を組むと、デザインは遅くとも5月13日には決定していないといけないと思いますが。いかがでしょうか」

振られた宣伝部の担当である田中は、そこが限度だと思いますと渋い顔だった。
「とは言っても、今日は金曜日の夕方ですから、かなりタイトなスケジュールです」
実質、一週間もない。

「…どうでしょう。5月11日までにデザインを起こし、PDFファイルで私あてにメールしていただけませんか? そのあとのやり取りに2日あれば何とかなると思いますが。できれば3案程度、送っていただけると選ぶのに楽です。いかがですか?」
「わかりました」
田中が手帳に書き込んでいる。よろしくお願いします。

丸山が山中にあれ出して指示すると、山中は山村書店の社名入りの紙袋から、いくつかのクリアファイルを出し会議机の上に置いた。
「今までの過去の第1位帯のデザインを持参しました。良かったら参考にしてください。昨年は御社でしたから、そのデータは残っていますよね?」
丸山が田中に尋ねると大丈夫ですと答える。

「…あとは部数ですね。昨年は2カ月間で約1700冊、販売しています。今年は思い切って2000冊で始めたいのですが…いかがですか?」
「2位と3位の部数は、どうされるんでしょうか?」
逆に山本が丸山に尋ねた。

「昨年と今年のビジネスダービーでの売上を比較すると、今年は勢いが強かったように思います。そこで、2位と3位はそれぞれ1000冊でスタートすることにしました」
「わかりました。ではうちは2000冊でお願いします」
2000冊か。ちょっと緊張する。

「…かしこまりました。店別の割り振りについては、後ほどエクセルシートで山岡さんあてに送らせていただきます」

祝勝会
打ち合わせが終了すると、陽子は丸山と山中を近くの居酒屋に連れて行った。

「重要課題だったビジネスダービーで1位を獲得して、お約束の2連覇ができましたね。今年の秋の懇親会で、約束通り自力で表彰台に上がれる山岡さんに乾杯!」
丸山の音頭でカチカチンとジョッキを合わせ、ごくごくっと喉を鳴らす。

「おいしい」
「ありがとうございます。自分でも、まさかできるなんて思ってもいませんでした。夢のようです」
見ると、山中が何か言いたげな顔をしていた。

「…山岡さんって、本当に2年目ですか?」
「え? あ、はい…昨年4月の入社です。今年の4月にようやく新人が入社したので、やっと私にも後輩ができました」

山中が陽子を凝視している。
「あの、私、そんなに頼りなさげですか?」
「逆です。何かとても信じられない。…私も店にいた時に御社の営業部の方々とは面識がありますが、山岡さんって、何だか不思議なほど存在感があるんですよ」
だから2年目ってことが、ちょっと信じられないと山中がつぶやいた。

不思議でも何でもないよ…と丸山が言った。今日はいかリングではなく、ししゃもに注目しているようだ。
「山岡さんは、ビジネスダービーで第一位を狙うという大きな仕事を抱えていました。それを成功させるためには、周囲の様々な人間を動かさざるを得なかった。

だから本人も知らないうちに、人を動かすテクニックを覚えてしまったんじゃないかな」
丸山はグーッとジョッキを空けると、横を通り過ぎようとした女性店員にもう一杯と追加する。人を動かすテクニック…と松岡がつぶやく。

「組織化のテクニックです。自分が関係する組織というのは、社内だけじゃありません。会社の外にも自分が関係する組織が広がっています。取引先だったり、協力者だったり、顧客だったり。ライバルだってある意味、組織かもしれません。その事実を、誰かに言われてじゃなく、自分で気がつくかどうか。仕事の成功と失敗を分けるのは、たったそれだけの違いです。山岡さんは自分で気がついたから、営業部での存在感が出たのでしょう」

じっと聞いていた山中が、私もそんな力が欲しいなとつぶやいた。

「…あの、褒め殺しですか?」
二人がそろって、実はそうなんだけど、と笑う。陽子は素直に嬉しかった。
「…本当にありがとうございました。仕掛け売りの計画も順調に進んでいますし、ビジネスダービーで1位も取れて…丸山さんのアドバイスのおかげです」
いやいやと手を振りながら、もっと言ってと丸山がおどける。

陽子自身、どの時点で何に気づいて行動して来たのか、よくはわからなかった。
企画を実施していく過程で重要なのは、企画の「推進母体」である。これは丸山に教わったことだ。一人でやるよりも複数でやるほうが、当然だが推進力が大きくなり、その推進母体が大きくなるとアウトプットが大きくなる。これも教わった。

〈囲い込みの技術によって、あなたを中心とした周りのメンバーの組織化がどのように実現できるのか、推進母体をどれだけ大きくすることができるのかという点こそ、成功のカギを握っている〉

物まねをして山中を笑わせる丸山を見て、歴代の先輩たちが山村書店を担当し、素早く育ったということの意味が、陽子はようやくわかった気がした。

私の顧客、丸山の顧客、誰かの顧客…
よし、今日は飲ませていただきます。徹底的に!



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