2015年7月7日火曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 12

11.成長

なぐさめ
…そうだ。料理を注文してない…まだ、動揺が残っていたのかも。
陽子は慌ててメニューを広げ、料理の注文を忘れていましたと言って、二人にご希望を聞いた。
丸山がメニューを受け取り松岡に渡した。
「山中さんよろしく」と言ってメニューを渡された山中が注文をしている間、丸山が懐かしそうな顔つきをしで話し始めた。

「書店営業の担当になって1年でしたか。加藤さんは1年半で異動でしたが、山岡さんはちょっと早いような気もします。でも、もしかしたら、山岡さんの1年間は普通の人の3年分だったのかもしれませんよ」
丸山はジョッキを飲み干し、目が合った女性店員におかわりと頼んだ。

「山岡さんは法人担当と地区担当をこなしながら、担当する法人も徐々に増やしたと聞いています。これらの営業活動に加えてビジネスダービーが始まって、どの仕事も手を抜かず、そしてどの仕事でも結果を出しました。」
注文を終えた山中も丸山の話に聞き入っている。

「…今年のビジネスダービーでは、最後の最後に逆転をして1位を獲得しました。こういう実績を出せた理由は、3年分の仕事を1年に凝縮してこなしてしまったからじゃないかと、私は思うんですよ。勝手な推測ですけどね。…そういう意味では、1年での異動が早過ぎる、とは言えないかもしれません」
すると山中が、山岡さんは凄かったですから、と同調する。

「そう言っていただくと、嬉しいのですが、…何か途中で放り投げてしまうような感じで嫌なんですよ」
それは違うよと丸山が陽子を見つめた。

「自分でどの程度、気が付いているかわからないけど、山岡さん、あなたは周りの人を大勢巻き込んで、みんなで仕事をするように動いてきたんだよ。みんな、あなたに巻き込まれちゃったんです。それが実現したから、結果的に大きな実績ができた。で、あなたに巻き込まれた人たちは、どうすると思う? 次は自分で考えて動き出すんです。化学変化を起こしたんですよ、あなたは」

「そう言われると、山岡さんが何も言えなくなっちゃいますよ」
山中が口を挟む。
フォローしようとしたのだろうが、陽子は複雑な気持ちだった。自分が導火線に火をつけ、抜けたとしてもその火は消えない、と言われているのだ。

丸山の言う通りだった。
雑誌編集部ではゼロからのスタートだが、それはそれで興味深かった。
それに…。
1年で3年分の仕事をしたと丸山に言ってもらえるのなら、それで充分だった。

入社1年目の陽子が丸山に出会い、塾に誘っていただき、丸山の講義や他社の営業マンたちの話を聞きながら、教えてもらったことが山のようにあった。それらを応用して、思い切った仕事ができた。

…ふと、芳川の顔が浮かんだ。
彼女が口ぐせのように、「丸山さんと話すと元気が出るから」という言葉の意味が、ようやく陽子の腑に落ちた。

「うちの法人担当になってから、ちょうど9カ月ですか。加藤さんと同じだ。これも何かのご縁かな」
目頭が熱くなってきた。…泣くかも。
「…後任は、小林になると思います。ただ、6月までは誰にも言わないようにしていただけませんか? 社内的にもまだ公表されていませんし。…よろしくお願いします」

成長
突然、陽子の携帯が鳴った。
「ちょっと失礼します」
陽子が店の外で携帯に出ると、相手はI地区の書店だった。電話の向こうは怒気に満ちた雰囲気だったが、丁寧に説明し、その場は何とか収めることができた。

席に戻ると、丸山がどうかしたのと尋ねた。
「…I地区の書店さんからのお電話だったんですが。うちが販促用に作ったパネルの話を聞いてないと、怒っておられて」
「え、でもあそこって、山岡さんの担当じゃないですよね?」
山中はちょっと怒った口調だった。

「…同期が担当なんですが、携帯にかけても出ないみたいで、私にかけてきたようです」
「聞いてないって、…あれ、確かまだすべての書店には公表していないよね?」
「ええ。どこかの書店さんから聞いたようです。…人から聞かされたものだから、怒ってしまったようですね。もともと営業部の担当ごとに割り振りがあって、書店にお渡しするのも担当に任せられているものですから、もうすぐお話が行くはずだと思います、とご説明して、何とか納得していただきました」

自分だけが知らないと、人は「外された」と思い込む。
仕事の現場では、時にそれが増幅されることから、十分気を付けないといけない。
「大丈夫ですから。食べましょう」

「成長したなあ」
「え?」
一瞬、何のことかわからなかった。

今だから言うけどと、丸山が続けた。
「加藤さんと同行で来た時には、何だか、おどおどした印象しかなかったけど、今では堂々と見えますよ」
はははと陽子が照れる。すいません。あのころの私は忘れてください…

「その、…入社したてのころは、何をするにも自信がなかったんです。劣等感があったと言ってもいいと思います。同期も先輩も一流大学出身の方ばかりで、女子大出身の私が皆さんと一緒に仕事をするのは、ちょっと無理かもと思っていた時期もありました」

仕事がうまく回り始めると、不思議なほど、そんな悩みはどこかに消えて行った。人間ってやつは、ゲンキンな生き物だ。
毎日のように社内でも社外でも走り回っていたのは、積極的な姿勢を見せることで、劣等感を跳ね返したいと思っていたからだ。アグレッシブに動くと習慣化して、それが自分の性格になると聞いたことがある。自信がないなら、逆に動くしかないと、あの当時は自分に言い聞かせていた気がする。

丸山が話した、「若手の営業マンに成功体験をする機会を与えたい」という言葉も、悩んでばかりの陽子に突き刺さった。偶然に成功したのではなく、組織化の仕組みからストーリーを組み立てて計画を実行する丸山流のスタイルで、この9ヶ月間、全力で走ることができた。

山中が頼んだワインがきた。…ワイン、私も頼もうかな。
「新しいステージで、新しい仕事のスタイルを作っていくことになるね」
メニューに手を伸ばした途端、丸山が振ってきた。

「はい。まあ、実際に異動してみないとわからないのですが。でも、やるからには満足感を得られる仕事がしたいですね」
「山岡さんにとっての仕事のキーワードは、満足感?」
「…参加してくれる人に満足してもらえれば、仕事でも何でも成功できると思います」
「素晴らしい! ひょっとして、ただ今ベストセラーの『マネジメントの力』を読んだの?」
丸山がおどけると、山中も陽子も噴き出した。
「はい! 良かったら買ってください!」
その言葉を聞き、今度は丸山がビールを噴き出しそうになった。

9カ月間。
陽子は丸山に、貴重な講義をしてもらったような気がした。
「もう一杯だけ、注文しちゃおうかな」
そうつぶやく丸山の目に光るものが見えたのは、お酒のせいだろうか。

陽子もビールをやめてワインを注文する。
やっぱりワインかなと山中がメニューを見ながらまたつぶやく。
心地良い満足感が陽子を包んでいた。

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