2015年7月1日水曜日

一年目営業女子のビジネスダービー6

5.必ず一位を取る

4月5日。
丸山からメールが届いた。3月29日から4月4日までの、1週間分のビジネスダービーのデータだった。正式なスタートは4月1日だが、多くの担当者は店に到着するとすぐに陳列する。送られてきたデータを見て、陽子は眉間にしわが寄った。

10時30分から始まる営業会議の前に、陽子はそのデータを営業部全員で共有するため公開した。添付メールでデータを見た部員たちも顔色が変わった。

前評判の高い香月氏の本が他を圧倒し、一位を走っていた。香月の本は一週間で二位に20冊差をつけていた。陽子の押している作品は45冊差をつけられて4位タイ。32冊差の3位だったにも芳川の作品にも13冊差をつけられている。

「何か強力な対策を講じないと、連覇は難しいぞ」
営業部長の山本がいつになく心配顔だった。
「確かに厳しいですね」
と河崎も同調する。

これからの予定は?と山本に聞かれた陽子は、手帳を開いた。
「今週は著者と数店舗を訪問することにしています。同時に、商品展開をもう少し大きくできないか、訪問先の店長たちと相談する予定です」
「それだけじゃ、この差は埋まらないと思うよ」
佐藤が言った。

普段なら心の中でムッとする陽子だったが、この日は違った。強力な対策を考えていたのだ。しかし今、この状態でそれを出すべきか…。

周囲で議論している間、かなり迷ったが、陽子はあえて「あの」と、発言した。
「うちは週刊誌の中吊り広告を5週連続で出していますよね。あの、そこに袖広告は出せないものでしょうか? その袖の部分に、ダービー本を出したいのですが…」

「そのくらいしないとダメだな。山岡、会議が終わったら宣伝部に行け。すぐに手配してくれ」
ちょ…ええ!
陽子がポカンとしていると、即断即決と佐藤がつぶやいた。

「部長、念のため丸山さんに確認しておいたほうがいいのではないでしょうか?」
河崎さん、いいこと言う。同感です。
「それもそうだな。山岡、会議が終わったら…」と山本が言いかけると、陽子はその場で、先週買い換えたばかりの携帯から丸山の携帯へと電話した。

「…あ、山岡です、いつもありがとうございます。実は週刊誌の中吊りに、袖広告をしようと思っていまして。で、そこにうちのダービー本を載せようと考えているんですが…」
ルール上、可能ですかと陽子が尋ねると、やることが大胆だなあと丸山が笑った。

「考えましたね。以前もどこだったかな、ビジネスダービーの期間中に新聞広告を出した事例があったから、広告を出すことについては許されると判断しています」
「ありがとうございます」
携帯電話を切る。

「OK、出ました。すぐに宣伝部と相談します」
即断即決。打てる手は早めに打つ、ですよね。

4月9日。
陽子はA店の入口前で著者と待ち合わせた。
夕方まで、事前にアポイントを入れてある5店舗を一緒に訪問するのだ。時間ぴったりに到着した著者と一緒に店内へと入ると、すぐにビジネスダービーのコーナーがあり、しばらく本の陳列状況を眺めていた著者が、壮観ですねと感心した。

「この中に自分の本があることが信じられない」
一位取りたいですねえと話していると、店長がやってきた。
陽子は著者を紹介した。

名刺を交換すると、店長が写真を撮らせていただけないかと提案した。
「それは構いませんが。…それって、何に使われるんでしょうか?」
「POP代わりの展示です。先生の写真があれば、前に在籍していらした会社の後輩の方々にも、一層興味を持っていただける気がします。応援していただけるのでは?」
「わかりました。そういうことでしたらお願いします」

すると店長がデジカメをポケットから出した。用意周到だ。
「えーと、本を手に持って、そのコーナーの横に立ってください」
写真を撮ると、店長は
「少しお待ちいただけますか? すぐに引き延ばしてPOPにします」
と事務所に駆け足で入った。

どういう写真になるのだろうと著者がそわそわしている隣で、陽子は丸山の言葉を思い返していた。
ビジネスダービーを勝ち抜くためには、店ごとの1位をどれだけ作れるかにかかっている。その一位をどうやって作るのか。…そこが営業マンの腕の見せ所だ。

今年も強力なライバルがいる。開始から1週間の数字では4位だった。
〈私にできること…お店を回って話し込むこと。店長や担当者の言い分を聞いて回ること。現場のニーズを吸い上げること〉

お待たせしましたと店長が戻ってきた。こんなに早くできるの?と、陽子は著者と顔を見合わせて驚いた。

「こちらのコーナーに置かせていただきます」
店長から依頼されて直送した30冊が別枠で陳列されたスペースに、その写真付きPOPが置かれた。

何かこそばゆいですね、と恥ずかしそうな著者に、店長が答えた。
「これで売れ行きが良くなりますよ」
そうですかと、著者はちょっと安心した表情だった。
「ありがとうございます。こんなにしていただいて。先生、良かったですね」
二人でお礼を言い、次の店へと移動した。

さすがに5店舗を回ると時間がかかる。最後に訪ねたB店では丸山にあいさつするだけとなり、満足に話すことができなかった。しかし今日の夜は丸山塾が予定されている。
そこで話せばいいか…

「先生、お疲れさまでした。いかがでしたか?」
駅へと歩く道すがら、陽子は著者に尋ねた。
「いやあ山岡さん、今日はありがとう。勉強になりました。同じ書店チェーンでも、店によって色々な違いが感じられたし。陳列の仕方も、全然違うんですねえ」
素直な感想に陽子はホッとした。

「ダービーはまだ始まったばかりです。これから1カ月間、何としても1位を取る覚悟で臨みますので、ご支援、よろしくお願いします」
大した会話もできなかったが、駅に着くと陽子は改札口まで同行し、見送った。

ふいに、山岡さんは何年目ですかと尋ねられると、陽子は
「今月から、やっと2年目です」
いいですねえT出版、とつぶやきながら、じゃあ宜しくお願いしますと手を挙げる著者に、陽子は深々と頭を下げた。私なんか、まだまだです。体は疲れていたが、心地良い疲労感だった。

〈まず情報を整理すること。各店の状況を考えて、提案できることは確実に提案すること〉
店舗情報における「選択と集中」が、今ほど必要な時はないと、陽子は痛切に感じていた。


4月15日。
丸山からメールが届いた。ビジネスダービーの2週間分のデータだった。1位、2位は変わらず、それぞれ181冊と156冊。T出版の本は3位へと上がっていた。
〈よし、上って来た〉
陽子は思わず拳を握った。

日別のデータを見ると、11日に20冊売れており、その後の3日間も二ケタの売上が続いている。中吊りの「袖広告」効果があったに違いない。
11日からの雑誌の中吊りで、袖の部分にダービー本の広告を掲載した。しかもこれから3週連続で袖広告を打つ予定だった。陽子の胸が期待に膨らんだ。

4月22日、木曜日。またしても丸山からメールが届いた。
1日から21日までの3週間分のビジネスダービーの売上データだ。データを見ると、ようやくT出版の本が2位になっていた。1位との差も37冊差。近づいて来た。第3週分だけを見ると、逆に16冊差で1位になっている。面白くなってきたぞ…

中吊りの袖広告が効いたのだろう。残すところ、あと10日間の勝負だった。
陽子はこうなったら何でもやるという気分になった。ちょうどそのころ、一緒に店回りもした著者から買い上げの話が届いた。企業の新入社員研修用に教材として使うため、山村書店のA店で一括買いをすることになったそうだ。

〈丸山さんに報告しておかなきゃ〉陽子はすぐに丸山の携帯に電話した。
「…あ、山岡です。いつもお世話になります。…実は著者の買い上げがA店で100冊ありますので、事前に報告いたします。これについてはビジネスダービーの実績から外していただきたいと考えています。それから、最後の手段としてデモンストレーション販売を考えていますが、これはルール上、OKでしょうか?」

丸山は即答した。
「買い上げはルール違反だから、ビジネスダービーのデータから削除します。…それにしてもデモ販とは考えたね。…うーん。企業努力の一つだから、特に問題はないと思います。しかしあの手この手と、よく考えてきますねえ」
「ありがとうございます」

苦笑する丸山の返事を聞いた陽子は、最後の挑戦に賭けることにしていた。
デモ販は二店舗で実施する。河崎と相談して、28日と30日の2日間、実施することにした。それぞれの店長の許可もいただいた。
いよいよ最終コーナーを回って直線に入る。陽子は武者ぶるいした。

4月28日。
デモ販をしていると、丸山が店にやってきた。どんな様子か見にきたらしい。小さなテーブルを借りて商品を積み、声を張り上げてお客を呼ぶ。今回は書きやすいボールペンをサービス品として付けることにしていた。

河崎も手伝ってくれているのだが、どこに行ったのか、姿が消えている。戻ったら交代することになっていたが、その気配がなかった。陽子はよく通る声をさらに張り上げた。思ったほど、数は売れなかったが、「この本は、実は気になってたんだよ」と言って買ってくれた時の満足感は格別だった。

4月30日、金曜日。世間はゴールデンウィークに突入していた。
その日の午前中、ゴールデンウィーク明けの5月7日に御社を訪問したいと、丸山が打診してきた。全店キャンペーンの相談だ。今回のビジネスダービーでは、1位から3位の受賞本をキャンペーンにかけるらしい。現時点の販売数値で、1位から3位までに入る本がほぼ確定しており、三社に打診しているとのことだった。

その日、陽子はもう一つの店でデモ販だった。お昼ごはんもそこそこに、声を張り上げ続ける陽子のそばに、ふと一人の紳士が寄って来た。

「いらっしゃいませ、よろしければどうぞご覧ください!」
「ご苦労さま、頑張ってください」
ひと言だけ告げると、紳士は離れて行く。
「?」

誰だろう。…陽子が不思議がっていると、彼女のもとに小走りでやって来た店長が慌てている。
「うちの社長です」
そう店長が告げると、陽子は思わずえっと声を出してしまい、その背中に深々と頭を下げた。

最後となったこの日のデモ販は、一昨日よりも売上は低かったが、店内放送を初めて経験し、やり遂げたという充実感があった。あとは最終結果を待つばかり。結果は5月6日に送られる。果報は寝て待てと言うけれど、うーん。寝て待てませんよ、この緊張感は。



連休中、特に大きな予定を入れなかった陽子は、大学時代の友だちと映画を観たり、カフェご飯を楽しんだりしている間も、ビジネスダービーの結果が気になった。

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