2015年6月30日火曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 5

4.激戦ビジネスダービー

ダービー開始
4月1日から、山村書店恒例丸山企画の「ビジネスダービー」が始まった。
期間は一カ月間だ。

部内の朝礼では、営業部全員が山村チェーン各店を分担訪問し、本の展開状況を見て、可能ならさらに良い場所に移してもらうこと、大きな商品展開が可能かどうかを店の担当者と話し込むこと、などなど、チェック項目が確認された。

T出版は第1回から参加する常連だ。過去の成績は、第1回の4位こそ表彰されたものの、第2回、第3回がそれぞれ9位、11位と低迷。それでも4回目の昨年、初めて1位となり、全店キャンペーンでは新記録を作ることができた。

そもそも売れそうなタイトルで、最終候補に残れるような作品を探し出すことは難しく、代々の担当者が悩んだところでもあった。
候補は店のビジネス書担当者からも推薦できる。店の担当者と出版社の営業マンの推薦が重なると、最終候補に残りやすいそうだ。

今年はT出版からは3冊がノミネートされていた。3冊のうちの2冊は営業部で検討して決めた自薦本で、そのうちの1冊は陽子自身が個人的に推したものだった。

そして3冊目は、陽子が丸山にお願いして店の担当者推薦枠でノミネートしてもらったものだった。ダメもとのつもりだったが、意外なほど快く推薦してもらえたことに陽子はちょっとびっくりだった。

最終候補に残ると丸山から連絡が来る。ノミネートから最終候補の選定会議までは、どの出版社の営業マンも例外なしにそわそわする。選定会議の翌日、丸山から連絡がきて、最終候補に残ったことがわかるとようやくホッとする。

今年は2番目の候補作が選ばれた。前回参加した出版社から3社が落ち、新規が2社、復活が1社あったと丸山が電話で話していた。

〈今日から4月。張り切って行きますか!〉 
昨年のこの日は入社式だった。入社したばかりで高揚した気分の中でまだ自信などない、空元気ばかりの陽子は肩ひじ張って参加していた記憶がある。一年経って、戦力として店回りをすることに喜びを感じていた。

陽子は会社にも近く、出社時にいつも通っている一番馴染みの地区から店回りを始めた。

最初の訪問店
この地区は最終候補に残った本の著者の出身母体となる会社がある地区で、今も新入社員のテキストとして採用され、著者自身も教育研修を請け負っている。

その日はアポなしの突撃訪問だった。山村書店の店長たちは日曜、月曜の休みが多い。今日は木曜日だし、会議の予定も特に聞いていない。店長たちはお店にいるはずだ。

店に入ると、レジ横の柱前にテーブルが置かれ、そこにビジネスダービーの商品が展開されていた。予想通りのスペース。ちょっと安心だった。
テーブル前で様子を見ていると、どうもと店長が寄ってきた。

「早速チェックですか?」
「はい。POPを持って来ました。ぜひ付けていただきたいのですが」
「了解です」
すぐに事務所からPOPスタンドを出してくれた店長は、手際が良かった。
「ありがとうございます。ところでご相談があるんですが、少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」
「どうぞ」
何だろうという顔をしている。

「ビジネスダービーに参戦できることを、著者が非常に喜んでおりまして…ぜひ書店を訪問したいとおっしゃっているんですが、お邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。歓迎します。…確かこのあたり、地元ですよね?」
「そうなんですよ。思い入れが強いみたいで…。それで、実は来週金曜日の午後になると思うんですが、そのあたりはいかがですか?」
「金曜日なら、私もビジネス書の担当者もおりますよ。当日は何店舗か回るんですか?」
「できれば4~5店舗回りたいと考えてまして…
その日は丸山がB店に行くことをつかんでいる。だからB店も訪問する予定だった。

「山岡さんが同行するんですか?」
「はい。実は…御社の懇親会で連覇すると、あの…宣言というか、口を滑らせちゃって」
すると店長はああ、覚えてる、覚えてると、急に声が大きくなった。
「そうでしたね。大変だ」

でも山岡さんなら実現するかもしれないなあ…店長の言葉はお世辞でも嬉しかった。
この2カ月ちょっとの間、陽子は毎日のように走り回っていた。飛ぶようにという表現が嘘ではないほど、毎日が時間との戦いだった。

「ところで、在庫はいかがですか?」
陽子が尋ねると、20冊の配分があったから当面は大丈夫と答えた店長は、ただしと加えた。
「著者が来店される時に、もう少し大きな展開をしようと思いますので、30冊ほど追加してくれませんか?」
「かしこまりました! すぐに直送の手配をします」

「これから次の店に移動するんですが、今回のダービー予想、というか見通しというか、どの作品が一位になるか、店長はどのようにお考えですか?」
かなり大胆な質問だった。分らないと言えば分らない。愚問だったか…?

店長はうーん、と腕組みしてしまった。
「…始まったばかりですから、正直何とも言えませんが…でも一つだけ、売れている本がありますので、それが要注意ですかねえ。ただし、この店ではいわば地元本と言える御社の本を押していくつもりですよ。心配しないで」

「ありがとうございます!」
間抜けな質問だったけど、何だか元気をもらった。

ライバル
電車を乗り継ぎ次の店に急ぐと、ビジネスダービーを展開したコーナーで芳川の姿を発見した。すでに手書きPOPが彼女のノミネート作品の表紙に貼られている。

彼女はいつも、POP用のペンと用紙とセロテープを持ち歩いている。
しかも字がかわいい。
POPに今一つ自信がない陽子は、ちょっと悔しかった。

「それかわいいですね、芳川さん」
陽子が声をかけると、芳川はあら山岡さん、また会いましたねと笑顔で返した。

「ビジネスダービー参戦作品は、確か英語の本ですよね?」
「ええ。ノミネート前に丸山さんに相談しましたよ。その時点で丸山さんからOKをいただきました。山岡さんは相談しました?」
お願いはしましたけど…そうかもっと色々相談すれば良かったな。

陽子の表情を見てとった芳川が続ける。
「ターゲットがビジネスマンなら、ジャンルが違っていてもビジネスダービーの趣旨に合っているから構わないって言っていましたよ」
…確かに。

ビジネスマンだからって、自己啓発本や営業本しか読まないわけじゃない。
「今後、英語が社内公用語になる会社が増えそうだと聞いています。外資系では以前から社内公用語が英語という会社のほうが多いようですから、ビジネス英語がますます重要になると考えてノミネートさせていただきました」
読んでいますね、トレンド。

店長が寄ってきた。
「お邪魔してます、店長」
先に声を掛けたのは芳川だった。

「お二人とも熱心ですね。昨年も最後までデッドヒートが続きましたよね?」
「店長、今年はどうご覧になっていますか?」
陽子はさっきの店と同じ質問を投げた。
「…うーん。正直言うと、うちでは特にどれを推すかは決めていませんね。なるべく平等に扱いたい、と」
極めて慎重な発言だった。

店によって様々だが、自店の売りを鮮明にする店長もいるし、あえてそうしない店長もいる。しかしながら当然、どの出版社の営業マンも、自社の本を推して欲しいと考えている。そのために、しょっちゅう訪問しているのだ。

すかさず陽子がPOPをお願いすると、快く引き受けてくれた。本当は追加注文の話をしたかったが、ゴリ押しは危険だと判断し、しなかった。

芳川が「では失礼します」と店を出ようとしたので、陽子も店長にあいさつし、二人は最寄り駅まで一緒に歩いた。

あれ。そういえば…
同じ書店、同じようなエリアを担当しているし、色んなお店で何度も遭遇しているのに、陽子は芳川とこうして並んで歩いたのは初めてだった。
飲み会でも、芳川は丸山にくっついて歩いていた。
ちょっと緊張する。ライバルだから?
…ライバルだなんて。

話しているうちに駅に到着し、芳川は都心方面へ、陽子は郊外方面の電車へと分かれた。
この日は予定通りに10店舗を回り、翌日も残りの店を訪問して全店にPOPを届けることができた。その際、数店舗から追加注文をもらえた。

〈よし、いいペースがつかめそう〉
店舗ごとに直送の手配をしながら、陽子は手応えを感じていた。


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