2015年6月20日土曜日

私のミリオンセラー計画 7

6. 靖子の迷い

体調不良
4月1日、B店に行く。すると入口近くのビジネス書のおすすめコーナーに、ビジネスダービーの商品がボリュームを持って陳列されていた。
靖子のおすすめ作品も選ばれていて良い位置に並んでいるし、以前から展開されている位置にも継続して並べられていた。
〈この店では問題ない…〉

丸山の姿を探して店の奥の方まで行くと、ちょうどバックヤードから丸山が出てきた。
「こんにちは、丸山さん」
「やあ、いらっしゃい」
いつもと同じパターンで挨拶を交わす。これも靖子にとって一つの安心材料だ。

「ところで芳川さん、今日はどこに行きますか?すし屋もあるし中華料理もあるし、何でも揃っている街ですから」
「店はお任せします」
靖子に返されて、丸山がしばらく考えてから言った。

「じゃあ、韓国料理にしますか」
ガードレールをくぐって細い路地を歩き、2~3分くらいで目ざす店に着いた。狭い階段を上がって2階に上がっていくと、昼食時間にはまだ早くてお客さまが少なかった。客席係がお好きな席にどうぞと言ったので、二人して窓際の席に座った。

「今日はどうしたの、ランチのお誘いなんて珍しいじゃない」
メニューを見ながら丸山がつぶやいた。
「ちょっと相談したいことがありまして…」
靖子が言ったところでウェイトレスがやってきた。丸山はいつも食べていると言って鉄板焼きのブルコギを頼み、靖子は石焼きの明太子ビビンバを頼んだ。

「実は原因はよく分からないのですが、この間営業中に倒れてしまったんです。これまでにもあったことなんです。それでも1日休むと治ってしまうんです」
「それは過労しかないんじゃないの。だいたい夜の10時過ぎまで営業している人なんかかめったにいないよ」

「そうなんですけど…終電で家に帰って、風呂に入ってバタンキュウで寝ます。毎日その繰り返しなんです。そこまでしなくてもいいんじゃないかとは自分でも思うんですが、書店員さんの期待にこたえなきゃという意識が強いものですから、ついつい店を回ってしまうんです。まあ、それだけならいいんですが、入社してからなかなか給料が上がらないんです。こんなに頑張っているのに…という意識があるからちょっと辛い状況ではあるんです。倒れちゃったりすると、やっぱり、気分的にちょっと萎えてしまって、考え込んでしまうんです」

「難しいところだよね。社長にはかわいがられている様子だし、この前もロンドンのブックフェアに連れていってもらったんでしょう?」
「はい、それは充分感謝しているんです。でも何かもやもやしてしまうんです」
「芳川さんは自分ですべてをこなそうとしていないかい?ミリオンセラー計画にしてもひとりで頑張っているんでしょ?」

「決してそういうことではありません。みんなで一生懸命営業して売り伸ばしています」
「それはそうだろう。ただ、たくさん売る人と普通に売る人が必ずいるじゃない。一人ひとりが頑張る営業だと、たくさん売る人の所によけいに負荷がかかってしまうような気がするんだ。そういう意味で言えば、一桁違う注文を集めてしまう芳川さんに集中的に負荷がかかるような気がする。結果、倒れてしまったりしたんじゃないの」
「そうでしょうか」

「メンバーを集め、ミリオンセラープロジェクトを立ち上げ、みんなの知恵を集めて、みんなで売っていく方法を考えたらどう?自分に対する負担が小さくなると思うよ」

またも丸山が話している時、ウェイトレスが料理を運んできた。丸山は早速食べ始めた。靖子はビビンバをスプーンでかき混ぜ始めた。この店のランチはずいぶんと量が多い。丸山が食べながら話し始めた。


 回遊切符
「私が大学卒業して入った会社はあまり面白くなくて、1年3カ月で辞めた。7月にボーナスをもらってすぐ辞めたんで、ボーナスを資金に日本一周旅行に出かけたんだ」

「えーっ、日本一周ですか」
「実際は2つの旅行の組み合わせだったんだけど、最初は周遊券で1週間ちょっと北海道を旅して、その後本州と四国を回った。その時は九州にはいかなかった」

「どういうルートだったんですか」
「まず青森に出て、青函連絡船に乗って函館に行き、札幌に抜け、旭川から北行して礼文島に渡った。その後旭川に戻って、釧路に行ってまた旭川に戻り、札幌経由で襟裳岬に行き、また札幌に帰って、函館の夜景を見て家に帰ってきた」

「ほとんど電車に乗っていただけですか」
「まあ、いつも夜行列車に乗っては次の場所に移るのを繰り返していたからな、そう言えないこともない」
丸山の話は古い。青函連絡船なんて知らない人の方が多いかも…

「2~3日休んでからまた東京駅に行って回遊切符を買った」
「回遊切符って何ですか」

「その当時あった国鉄の切符なんだけど、重複しないで一周する感じで切符を買うと割引料金になるものがあったんだよ。割引率がどうだったかは忘れてしまったけど。そのとき買った切符は東京から青森、秋田、新潟、金沢を抜けて京都に入る。京都から山陰本線に乗って鳥取、島根、山口、宇部に抜ける。そこから四国に渡って、宇和島、高知、丸亀まで行って岡山に渡る。岡山からは大坂、奈良、名古屋を抜けて東京に帰ってくる。そんなルートだった。有効期限は28日間だったように記憶している」

「すごい切符ですね、確かに一度も重複していないですね」
「基本的に夜行列車に乗って旅をしたんだが、全国にいる同級生や後輩たちの実家にもお世話になった。金沢で帰省する後輩と待ち合わせをしていて山陰の実家までは一緒に旅をした」
回遊切符だとか国鉄だとか丸山の口からレトロな言葉が次から次へと出てくる。

「その間、会社を辞めてこれから先どうするべきか、色々と考えたんだけど結論は出なかった。次の就職先も決めずに辞めてしまったんだけど、まだ若いし、何とかなると思っていたんだ。そんな時に、学生時代にあまり熱心に勉強したわけではなかったので、もう一度きちんと勉強をしたいという気持ちが高まってきて、学士入学をして中国文学をやりたいな、なんて思ったりね」
卒業して2年目あたりはそんな気持ちが起きやすいんでしょうか。

「旅行から帰ってきて、持っていたお金も尽きてきた頃、横浜の書店の社員募集記事が出ていて、応募したらすんなり受かってしまった。配属された店はとても刺激的な店で、今度は書店の仕事にはまってしまった。とても楽しく仕事ができる店だったんだ。
そうはいっても勉強したいという気持ちにもウソはなかったので、学士入学の試験の前に要項を取り寄せたんだ。そしたら中国語が試験の科目だったので、ちょっと無理かなとその時点であきらめた。そんなことがあって本格的に書店人生に入っていったんだよ」
「それから40年近く書店業界にいらっしゃるんですね」

 
やり遂げること
「会社を辞めることは簡単だ。だけどそれで本当にいいのかは結果論でしかわからない。私の居た会社はその後解散してなくなってしまったのはたしかなんだが…」
いつの間にか丸山の食事は終わっていた。そして、
「コーヒーを取ってくるよ」
と言って席を立ち、すぐに靖子の分も一緒にコーヒーを運んできた。そしてまた話し始めた。

「何時も元気はつらつの芳川さんがこんな風に悩んでいたなんてちょっとビックリ。さっきも言ったように、会社を辞めるって簡単にできるんだけど、本当はその会社に何かを残してから辞めた方がいいと思うんだ。E社史上初のミリオンセラーを作るという計画を立てて、活動を始めて2カ月、ようやく火が付いてきたところじゃない。もったいないよ」
丸山はコーヒーを一口飲んでのどを潤した。

「もう一回言うけど、メンバーを集めてプロジェクトチームを立ち上げなさい。そして、みんなの力を合わせてミリオンセラーを作りなさい。そういうふうにすれば、倒れることもなくなるんじゃないの?」

囲い込みの技術によって、あなたを中心とした周りのメンバーの組織化がどのように実現できるのか、推進母体をどれだけ大きくすることができるのかという点こそ、成功のカギを握っている。

確かに講義でそう言われたし、会社に何かを残すという意味では、ミリオンセラー計画ほどそれにふさわしいものはないのかもしれない。まだまだこの会社でやるべきことが待っているのか…悩ましいところだ。

石焼き明太子ビビンバは何とか食べきることができた。それにしても量が多かった。おなかがパンパンになっていくに従って、いつの間にか丸山のペースになっていったような気がする。靖子の気持ちの中でだんだんと相談事が霧散してしまって、今はすっきりした気分になってきた。

丸山が運んでくれたコーヒーを一口飲んだところで、丸山は2杯目のコーヒーを運んできた。

「丸山さん、今日からビジネスダービーですよね」
「そうだね、B店でも2~3日前から陳列してあるよ」
「これから、店を回ってきます」
「元気が出たかね」

「はい、もう大丈夫です。今日はありがとうございました」

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