2015年6月14日日曜日

私のミリオンセラー計画 3

 3.朗読が終わった。
「ベストセラーの基準は10万部だろう考えています」
山中のテキストの朗読が終わって、丸山が話し始めた。

「最近では5万部や7万部でも確かにベストセラーと言えますが、10万部という数字がベストセラーという言葉に一番似合うんじゃないかと、私は思っています。今、書店の新書の棚は出版社の争奪戦です。10万部クラスのベストセラーが出せると書店担当者の記憶に残り、シリーズとして棚を確保するチャンスが生まれます。新潮新書が創刊時から棚の確保ができた背景には、会社の規模だけじゃなく、創刊のラインナップに10万部クラスのベストセラーの勢いがあったことを覚えている方も多いでしょう」
数年後に発売された『バカの壁』の凄まじい勢いは靖子も知っていた。

「売れるものを売る」
「売れないものを外す」
「売りにくいものを売る」
どれも基本的な仕事なのだが、中でも、一番面白いのが
「売りたいものを売る」
ということ。

「誰も気づいていない」
「誰も手を出していない」
そんな商品を大量に仕入れ、『多面展示+POP』の販売方法を駆使してその店だけで売る。
そのうち他店でも売れていることに気づき、真似して売り始める。
そこでも売れていくと全国的な売れ方になり、その作品はベストセラーになる。

この方式が90年代に考えていた私の書店発ベストセラー。
90年代は漠然とした書店発ベストセラーだったが、00年代になって、出版社の営業担当者と組み、協力して書店発のベストセラーを作ることを考えてきた。そのためのストーリーも組み立てていた。

そして2006年に出版社のメンバーと組んで10万部計画を実践したら、累計発行部数が40万部を超える作品と出合うことができた。それが第一講義のテキスト『売り伸ばしの技術』になった」

ストーリーを作って40万部達成…
凄い。こういうケーススタディやるんですね、この塾。
山中が一人で通して朗読したのにも驚いた。長くて大変だったろうに。

 質疑応答
「それでは質疑応答に移ろう」
丸山の声掛けに反応して靖子が挙手をすると、丸山がどうぞと言った。
「拠点を作って仕掛けて売り伸ばす方式は、以前からされていることですか?」
はい、私の拡販スタイルは多面展示プラスPOP方式が基本です、と丸山が即答する。

「小さな店では一度に何点もの仕掛け売りはできませんが、一定以上の面積を持っている店であれば、同時に何点でも仕掛け売りが可能です。1000冊で仕掛け売りを始める場合、全店に30冊ずつ入れるようなことはしません。100冊を4~5店舗に入れて、残りの500冊、600冊を30数店舗に配分します。このパターンが効率良く売上を稼ぐからです。ビジネス書の会から始まった仕掛け売りも、基本はこの方式をとってきました。売れるところに商品を集中する作業は大事だと思います。こんな説明でよろしいでしょうか?」
「は、はい、ありがとうございました」

選択と集中…ずいぶん前に大学の講義で習ったが、その時は教授の説明に納得した気になっていた。
こういうケースで活かされるわけですね。ただ今、納得です。

「丸山さんが個人的に一番売った仕掛け売りは、どれくらいの冊数ですか?」
芳川に負けまいと手を挙げた青木は興味津津だった。
「以前在籍していた会社での1年間の実績ですが、店舗にいた時に行った事例として、文庫で2500冊が最高記録です。その店は、大手出版社のランキングで100位に入ることもないような売上規模の店でしたが、その本だけで見ると、全国でも5位以内に入りました」

ふと青木を見ると熱心にメモをとっている。いかん、出遅れた…
「こんな経験をすると、どんな店でも売り伸ばしのチャンスがあるんだなと思えます。例えば、エキナカの店舗は小規模な売場面積しかとれませんね。ランキング上は全国で200位前後の店だとしても、たった1冊の本の仕掛け売りで全国1位になるようなことがあります。このあたりも書店販売のだいご味ですよ」

山岡が感心したような目で見ている。今だけは芳川も、丸山がちょっとまぶしかった。
その山岡が手を挙げた。

「書店発ベストセラーというのは、具体的にどういうものでしょうか?」
質問を受けた丸山はうんと頷き、一呼吸置いた。
「神保町のある本屋さんが一店舗で数千冊を売った「心の処方箋」という心理エッセイがありました。これを出版社が全国の書店に広めてミリオンセラーにしたことがあります。私はこれが書店発ベストセラーの最初だと思っています」
ノートに神保町、数千冊、心の処方箋と書く。

「一店舗で普通考えられないような実績を作り、その実績をもとに全国的に売り伸ばしてベストセラーにするスタイルが書店発ベストセラーです。自分の店が発端になってベストセラーが生れるのはとても気持ちのいいものだと思いませんか。だから売りたがり書店員たちは書店発ベストセラーの発掘を夢見て日々仕事に励んでいるんです。出版社サイドもこのパターンでのベストセラーづくりを狙って書店員にアプローチするようになっていると思います」

 
本音
あの、ちょっとよろしいでしょうかと、山本が手を挙げる。
「どうぞ」
「普通、書店員さんというのは自分の店だけで売りたがります。他の書店担当者の鼻を明かしたいという気持ちが強いからだと思います。だから結果が出ると、自分が売ったのだと主張する人が多いような気がします」
山本さん、見た目と違って剛速球投げて来た。でもそこ、私も知りたいです。

「丸山さんの場合、他の書店に広げることを前提にステップを踏まれますよね? 全国区でベストセラーになるまでを視野に入れて計画を作ったところが、他の書店の方々と違うところで素晴らしいとは思いますが、丸山さんの本音を聞かせてください」
すかさず、私も聞きたいですと、山岡が同調する。…また出遅れました。
それを聞いた丸山は、本音かあと苦笑する。

「どこかの書店だけでたくさん売れている本って、必ずあるでしょ。ただし、それをベストセラーにすることができるのは出版社の営業だけ。マーケティングができなければ成功しませんから。今回のエピソードは新書が対象だったし、新書は売りやすい商材だから、売れるとわかれば誰もが飛びつくと思ったんですよ。私は本部にいて、店の売上に貢献できる商材を仕入れるのが仕事です。商品を見て、この本はどの店ではまるのかな、と考えながら仕入れます。チェーン店全体の中で自分の担当ジャンルの実績を上げる方法を常に模索しています。当然、普段は他社を視野に入れた仕事はできませんが、自分が常々考えていたベストセラー作りのストーリーを、一度、全国的なレベルで試してみたかったというのが正直なところです」
これ、本音だよと丸山が笑う。

〈仕掛け売りの拠点を増やすって言っていたけど、どうやって増やすんだろう?〉
靖子がぼんやり考えていると、小泉の手がゆっくりと挙がった。
「その、ストーリーの第二段階で、仕掛け売りの拠点を増やすという話がありましたが、営業サイドのスタイルとしてはどんな方法があるんでしょうか?」
…言われてしまった。今日は一歩遅い。

「いい質問。一番よく使う手はFAX通信です。どこの店で週に何冊売れたとか、累計で何冊売れたとか、ベストテンの第1位だとか、そういう販売データや、展開事例の写真付きの注文書を作成し、それをFAXで流す方法があります。一番オーソドックスなやり方かもしれない。書店員の気を引く注文書ができると、不思議なくらい注文が集まるよ。そんなに費用がかからないはずだから、ぜひ試してみてください」


 宿題
「他に質問がなければ…今日の宿題を発表します」

え…。宿題??
全員、唖然としていた。宿題なんていつ以来だろうか。
みんなの動揺に薄笑いを浮かべながら、丸山が説明した。

「この塾は出版社の営業マンと書店員の集まりです。両方とも売るのが仕事です。その中でも一番派手な仕事がありますが…さて、何だと思いますか?」
派手な仕事? 靖子が周囲を見回すと、みんなの頭の上にも?マークが浮かんでいる。
「ミリオンセラーを作ることです」

み、
ミリオン…セラー?
ミリオンセラーを、作る??

「宿題のテーマは『私のミリオンセラー計画』です。自社の本から、これだと思えるものを選び、ミリオンセラーにするための計画書を作ってください。計画書は来月の10日までに私あてにメールで提出すること」
…3人組も撃沈したという顔つきをしている。
 
みんなの頭の中が真っ白になるのが傍目にもわかった。
宿題を出すと発表された時以上に、静まり返ってしまった。
「皆さんから出された計画書に従って、ミリオンセラー計画を実行しましょう。わが社のメンバーは、皆さんの計画を積極的にサポートすることをお約束しますよ」
 
そもそも、ミリオンセラー計画なんて聞いたことがないという大きな不安がみんなの頭によぎる一方、靖子の気分は不思議に高楊していった。自分も会社も含めて、このところの低迷を吹き飛ばしてくれそうな、勝手だがそんな予感がしたのだ。

考え込む参加者たちをよそに、靖子はすでに、頭の中で商品の目安を付けていた。
〈あれしかない。あの作品に光を当ててチャレンジしたい…〉

今月に出たばかりの新刊がやけに初速が良くてすでに重版も決まった。この本なら望みがありそうな気がして、何店舗かに100冊以上の初回搬入をお願いしている。これをミリオンセラーにしたいと靖子は思った。

新書でもない普通の人文書のミリオンセラー化は極めて難しい。そんなことは2年の経験で靖子でも理解している。しかし、妙にキャラが立っているあの本は、普通の人文書じゃない。まだよくわからないが、これまでとは違った売り方が、似合うような気がする。


 新年会
「さて、新年会に繰り出しますか!」
ハッと我に返ると、丸山が行きますぞと、靖子の肩をポンと叩いた。

新年会には約束通り、長谷川がやって来た。
「お店の告知をしなかったのに、よくここがわかったね」
と丸山が感心している。

「絶対ここだと思っていました。新宿区の会はここで開かれていましたから」
長谷川が答えると、丸山がW出版の長谷川さんですとみんなに紹介した。
長谷川は以前靖子の会社の先輩社員だったので、色々と仕事を教えてもらったことがあった。最近になって退社してW出版に入社した。それがこんな席で会うなんて不思議な縁を感じた。

「有田君、乾杯の音頭よろしく」
丸山から指名を受けた有田は、皆さん行き渡っていますか、と、ビールを確認する。そして一段大きな声を発した。
「では皆さん、とりあえず乾杯しましょう。ミリオンセラーが生まれる場面に立ち会うことができると思うと、私は感慨ひとしおです。未来のミリオンセラーに乾杯!」
かんぱーい! カチンカチンとグラスが鳴る。

「え、あの…ミリオンセラーって?」
長谷川が不思議そうな顔をしている。そうだと、丸山はカバンから出したテキストを長谷川に渡した。
「読めばわかるよ。テキストの最後に書いてあるけど、私から皆さんに宿題を出しました。お題は『私のミリオンセラー計画』。皆さんの会社の作品に光を当てて、売り伸ばしの技術でミリオンセラーを作る、と」

「ミリオンセラー計画…って、こりゃ大変ですね。いやー、できるかな…」
その表情には驚きやら戸惑いやら、色々なものが混在していた。

でも他人のこういう表情見るのって、面白い。私もさっき、あんな顔していたんだろうか?

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