2015年6月28日日曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 3

2.チェーン本部担当

独り立ち
陽子への引き継ぎは1日で終了したが、色々と担当を持っていた加藤は、それぞれの引き継ぎに9月一杯かかってしまった。完全に異動が完了したのは10月になってからだと後で聞いた。

沿線各店の担当はそのままで、そこに本部担当だけが増えた形だから、従来通りの仕事に加えて月に一回程度、ひと言多い丸山との打ち合わせが加わるだけだ,と陽子は思っていた。

しかし、その見通しは甘かった。新刊の追加注文だけでなく、T出版における山村書店の法人別順位を上げて欲しいという丸山の要望に基づいた各種の拡販対策への対応もあり、急激に仕事が増えた。

それでもそれらの仕事には、うんざり感を感じなかった。陽子はそれまでの仕事生活が、ガラッと変わる気がしていた。うまく表現できないが、手応えを感じる仕事が増えた気がしていたのだ。

10月中旬には、陽子一人による初めての定例打合せを経験した。しかし、それはほろ苦いデビューだった。打ち合わせの席上、お互いに見逃してしまった売れ筋商品があったのだ。丸山はそれをぼやいていた。

「11月の新刊には目玉商品があったからね。それに集中しちゃったから、売れ筋を見逃してしまったんだな」
特に注目せずに、配本任せにしてしまった商品の中から、売れ筋が2点も出てきたのだ。
直後に一括追加注文を丸山が出したおかげで、手持ち在庫の中から商品を確保できたことで、何とか難を逃れることができたが、後手に回っていたら商品確保ができず、重版待ちだった。そうなると店で品切れを起こし、お客さまに迷惑をかけてしまう。

不思議なのは、売れ筋商品がある場合、新刊発売日の翌日には丸山からの追加注文が届くことだった。なぜそんなことができるのか? 陽子が素直に聞くと、丸山はいい質問だねと、その仕組みを説明してくれた。

「通常の出版社は、配本後に3日目調査をして手持ち在庫から出庫するパターンが多いよね。いわゆる調整出庫。だからそれまでの注文は、どんなに早くても保留されてしまう。しかしビジネス系の出版社ってそういうことをせずに、注文が来たものから順に出庫するパターンが多い。御社も多分そうじゃないかな?」

確かにそうだ。ビジネスマン向けの本は大部分が短サイクル化している。早め、早めはうちの営業メンバーの口ぐせだ。

「うちの店にね、発売日の前日に新刊が届く店があるんだよ。その店の初速を当日売上で見ていると、何時までに何冊売れたかがわかる。翌日、つまり発売当日の売上も見て判断すれば、その本がどの程度売れるかが見えるんだよ。あとは入荷数と売上数の店別データを出して、各版元向けに注文書を作るというわけ」

だから発売日の翌日に注文書が届くんですね。また一つ、カラクリを知って、陽子は嬉しくなった。

ちなみに1カ月後の調査で、事前確保した新刊の目玉商品よりも、打ち合わせで互いに見逃してしまった新刊のほうが、大きな売上となってしまった。反省…。目利きの大切さをもっと学ばなければならない。打ち合わせの大切さを陽子はしみじみ感じた。

月一の訪問
翌1Ⅰ月の丸山との定例打ち合わせは、前回のような緊張はなかった。約束の時間に丸山を訪ねると、ちょっと疲れた様子だった。しかし相手が疲れているからといって、こっちまでお疲れモードになっちゃいけない。二人でだらんとすると、つける数字に影響する。
〈感情は感染する〉
…誰の言葉だっけ?

陽子は小さく咳払いし、では始めさせてくださいと、よく通る声で丸山に新刊案内を渡すと、ハッとした表情の丸山はペーパーに目を落とした。

「12月上旬の新刊って、今からでも間に合いますか?」
「早めにいただければ何とか間に合わせます。できれば明日までに注文書をいただけると助かりますが…」

「了解。この商品はすぐにエクセルシートで送ります。それと…この、4行目の『マネジメントの力』は面白そうだなあ。でも刷り部数が少ないね。一括は無理?」
「確かに面白いんですが、あの…萌え系の表紙なんですよ」
萌え系?と丸山が顔を上げた。

「数を用意していないと思いますので、一括はちょっと…難しいかもしれません」
そう聞くと、丸山は少し考えこみ、だったらB店に50冊だけつけてと言った。
「あと、ゲラがあったらくれないかな? これ読んでみたいから」

「すぐに手配します。私もゲラを読まされました。とても面白いと思いましたが、萌え系の表紙にお客さまがどういう反応を示すかで、売れ行きが決まるように思いました」
しかし丸山は、この新刊案内の文章を読んだだけで、僕はいけると思うけど…と、こともなげに答えた。

意外なほど食いつきが強い。その様子を見て、陽子は嬉しくなった。萌え系の表紙については女子として気にはなっていたが、ゲラを読んだ限りでは面白かったのだ。

「ほかはどうですか?」
「うーん。食指が動くものは…ないなあ」
でも先月は取りこぼしがあったからなあ、と丸山は頭をかきながら
「動きが出たらすぐに追加注文しますよ」
と姿勢を正した。

売れる作品が欲しい
当たり前の話だが、出版社側は売れると判断して本を作っている。しかしこうして書店の担当者と話すと、同じような内容、似たようなタイトルがこうも立て続けに出版されることで、どの書店もいい加減うんざりしているのだろう。もちろん、読者もうんざりだろう。メーカーとしての責任を感じてしまう。

そうは言っても、このまま前年比80%台じゃ、ボーナスが出るかどうかわからない。3月末までに業績を回復させるためにも、大部数の重版が必要だ。
陽子も毎週のようにデータをチェックし、仕掛け売りの候補作品を挙げているが、丸山の眼鏡にかなう作品は今のところゼロだ。

山村書店の店長たちにも、営業に行くたびに仕掛け売りの相談をしているが、誰一人、乗ってくれない。私の本の選び方が悪いのだろうか?
うーん。
ベストセラーが欲しい。…願うだけじゃ、出ないことぐらい、わかっているけど。

山村書店恒例の「ビジネスダービーのご案内」が、丸山からメールで送られて来た。出版各社が山村チェーン全店で数字を競い、「ビジネスダービー第1位」を奪い合う戦いだ。
前半部分には昨年の実績が書き込まれており、拡販キャンペーンの素晴らしい実績がグラフで表現されている。それを見た陽子は、二連覇したいという気持ちが改めて湧いてきた。

加藤に続きたい。素直にそう感じていた。
案内の後半部分に今年の概要が記されている。ノミネート作品の条件は、12月以前の発行のもの、判型はB6からA5サイズまで、本体価格が1000円以上、山村書店で累計売上750冊未満のもの、となっていた。

1社で2点までノミネートできるそうだ。店の担当者からは1点だけノミネート可能。スケジュールは昨年と同じで、2月末までにノミネート作品を提出しなければならない。3月上旬にはチェーン各店のビジネス書担当者が集まり、最終候補作品の選定会議があるらしい。
 

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