2015年6月27日土曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 2

1. 一年目営業女子

9月18日
抜けるような青空だった。
陽子は異動の決まった加藤に連れられ、山村書店の本部に向かった。

「お、いらっしゃい」
仕入部のあるドアを開けると、すぐ近くに丸山が立っていた。
「ちょっと待って、打ち合わせに出る前に紹介しといたほうがいいよね」
丸山は仕入部のスタッフに、ちょっと聞いてくださいと声をかけた。

「えーと、これまで担当していただいた加藤さんは、このたび週刊誌の記者として異動されます。で、後任は入社1年目の山岡陽子さんです。ピカピカの1年生です。6月ごろから、沿線の店を担当していただいております。加藤さん同様、山岡さんも積極的ですし、抜群のプロポーションとこのかわいい笑顔で、すでに店長たちには抜群の人気になっています。以後、よろしくお願いします」

ささやかな拍手。ありがとうございますと加藤が頭を下げる。陽子も慌てて深々と頭を下げた。
「初めまして、山岡と申します。まだ駆け出しですが、加藤のあとを継ぎ、全力で頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!」
陽子はその場で5人のスタッフと名刺を交換した。

打ち合わせは上の階にあるラウンジだった。
「いよいよ週刊誌の記者ですか」
日替わりランチを3つ注文した丸山は、何やら楽しげに見えた。
「中途半端な時期だったので、異動はないだろうと思っていたんですが…」

色々あるんだろうねとつぶやく丸山の表情は、まるで背景を探る刑事のようだった。
「新人さんが思いのほか早く戦力になったことで、加藤さんが弾き出されちゃったんじゃないかな?」
「弾かれたんですか?」
加藤の表情が曇ると、いや悪い意味じゃなくてねと丸山が慌てた。

「ビジネスダービーで1位を取ったでしょ? アキバでの企画提案も良かったって聞いているし、法人担当としても地区担当としても、営業としての仕事はマスターしたなと判断されたのではないかなと。仕方がないよね、こればっかりは」
丸山がそう話すと、加藤の表情が晴れた。

「そう言っていただくと嬉しいのですが、やっぱり中途半端な時期でしたので…予想もしていませんでしたから、気持ちが落ち着くまでに、少し時間がかかりました」
そんなものかもしれないねと、丸山は陽子をチラッと見た。

食べながら話すのは苦手
「それはそうと山岡さん、うちのチェーン店は色々な企画があるから、ちょっと大変かもしれないよ」
「脅かさないでください。彼女、まだ1年目ですから」
加藤がフォローする。

色々な企画? お酒なら強いほうだから大丈夫ですけど…
「そういう加藤さんだって、1年生の時にうちの担当になったじゃない」
「それはそうですが…」
コップの水をごくりと飲みながら、丸山が
「新人さんにはちょうどいい規模なんだろうね」
と笑った。

確かに店数も売上もほどほどにある。色々な企画があるんだったら、営業担当者が活躍できる機会も多いだろう。陽子の頭に、大学時代、教養課程で習った組織論が浮かんだ。
〈強い組織とは経験させることができる組織である〉
…誰の言葉だっけ?

料理が運ばれてきた。食事の間は無口になるのかと思ったら、丸山の口は止まらない。
食べながら話すのは苦手だ。食べる時は食べることに集中したい。でも、話しかけられると答えざるを得ないので、食事のペースが落ちていく。

しかし、丸山のペースは全然落ちない。
どんな食べ方してるんだ、この人?

「加藤さんから聞いているかもしれないけど、うちの店には仕掛け売りが得意な連中が多いから、これはという書籍があったらどんどん言ってね。書店発のベストセラーを作ろう」
シカケ売り? 
書店発のベストセラー?…
生来の興味深さが顔に出たのか、丸山は陽子をじっと見た。

「面白いよ。まず仕掛け売りの得意な店を何店舗か選ぶ。そこに大部数を投入して拠点を作るんですよ。その拠点で突出した売上ができたら、次は全店規模で拡販体制に入るんだな」

カクハン体制??

「さらにそこでも実績が出たら、今度は他のチェーン店に働きかけて、仕掛け売りの店数をどんどん増やしていく。週刊ベストにランキング入りができて、第1位になる店が出てきたら、店名入りでベストテン第1位の文字が入った新聞広告を出すんです。全体的に売上が上がり、何度か広告を出すことができれば、全国から注文が集まるから、仕掛け売りの輪が全国に広がっていくんだね。そこまでできれば10万部が見えますよ。楽しそうでしょ?」

10万部?…
「やり方については、またの機会に詳しく説明します」
丸山と加藤が他社の本の話に移っても、陽子の頭には10万部が響いていた。

打ち合わせ
食後のコーヒーが運ばれてきた。
引き継ぎだけじゃなく、今日は来月出る予定の新刊の打ち合わせも兼ねていた。

丸山がしみじみと言った。
「最後の打ち合わせか。気合い入れてやりますか!」
「いや、普通にお願いします」
苦笑する加藤が鞄から新刊案内を出し、丸山に渡す。丸山は上から下まで凝視し、2枚目にも目を通すと、ゆっくり口を開いた。

「手帳だけど、これまであまり力が入っていなかったような気がするから、今年はチェーンでまとめてみたいなと思うんだけど。どう?」
「ありがとうございます! 私もそうしていただきたいと思ってました」

「ではそういうことで。それから…5行目の『超越する言葉』と、11行目の『勉強術』あたりも、指定させてもらいます」
「部数はどの程度、考えてらっしゃいます?」
「時代が350冊くらい、勉強が500冊くらい」
「多分、大丈夫だと思います」

他に注目作品はありませんかと加藤。とりあえず配本で様子を見させてと丸山。二人のやりとりには心地良いリズムがある。
〈私はこんな風にできるのかな?〉
陽子はちょっと不安になった。

「山岡さん宛にしますか、それとも加藤さんにしますか?」
加藤と目が合った。発注のエクセルシート、と丸山に言われ、陽子はハッとした。

「あ…あの、山岡宛にお願いします」
そう答えた時の丸山は、気のせいか、お前大丈夫かよといった表情だった。自分も目の前の頼りなげな姿を眼にしたら、きっと同じように思うだろう。
じゃあこのへんでと丸山がコーヒーを飲み干す。

「9カ月か。長いようで短かったね」
「お世話になりました。おかげで色々なことを経験させていただきましたし、たくさんの方と接することができましたし」
「一番の思い出って何だった?」
尋ねられた加藤は、もちろんあれですと笑顔で答えた。

「ビジネスダービーです。勝つのと負けるのとで、こんなにも違うのかと思い知らされましたよ。会社にとっては念願の初制覇だったし、最後までもつれての勝利でしたから。嬉しかったですね。拡販キャンペーンでは帯がなくなってしまうほど売れたことも、印象に残っています。第1位帯の販売力の強さって凄いなと、つくづく感じました」

「何はともあれ、異動先でも頑張って。応援してるから」
「ありがとうございました」
加藤が深々と頭を下げる。すごいな加藤さん。たくさん吸収したんだろうな。
「山岡さん、私は目が輝いている人が好きです。これからよろしく」
「あ…はい。よろしくお願いします!」

会社への帰途、陽子は加藤から、丸山がベテランの書店マンであるだけでなく、書店や出版社の若手を育てるためのある仕掛けをやろうとしていると聞かされた。

「どんなことですか?」
陽子が尋ねると、加藤はそのうちわかるよと謎の微笑みを返した。
電車の扉が開き、不思議そうな顔で歩く陽子に、加藤がクロレッツを渡す。

「陽子は大丈夫だよ」
え。
何か、もの凄くしんどいことが待ってるんでしょうか…?
ちょっと不安になってきた。


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