2015年6月29日月曜日

一年目女子のビジネスダービー4

3.丸山塾


2月12日
一月の寒い夜、とある喫茶店で若手の営業担当が8名、書店員が3名集ってベストセラーをつくる塾の活動が始まった。丸山のチェーン本部を担当している営業マンが多く参加していて、陽子も一緒に参加していた。入社1年目から3年目ぐらいのメンバーが集まっていた。

一回目の講義は「売り伸ばしの技術」で10万部計画とミリオンセラーのつくり方が開設されていた。質疑応答が終わって塾生たちは会合の最後に宿題の提出を求められ、そのタイトルが「私のミリオンセラー計画」だった。

ミリオンセラーという言葉の響きは陽子にはとても優雅に聞こえた。自分の出版社では未だミリオンセラーを出したことはなく、ビジネス系の書籍では松下幸之助の作品しかミリオンセラーになっていないようだ。

宿題の提出期限は次回の会合の一週間前、つまり、今日だ。陽子にも予感めいたものが感じられて、ミリオンセラづくりのチャレンジしたい作品のイメージは、宿題の提出を求められた時点ですでに出来上がっていた。

アキバの書店でめちゃくちゃ売れている『マネジメントの力』が陽子の押す作品だ。当初は同時期に発売された売れ筋作家の作品の優先順位が高く、重版も後回しになっていたような気がするが、一月中旬からは売れ行きに合わせた重版ができている。

売れているのはわかっているし、売り伸ばしは十分可能だと思うのだが、計画書の書き方をどうしたらよいのかイマイチ不安な要素だ。

悩みながら書き込んで、
「えーい、何とかなれ」
勢いでだ計画のチェックもあまりせずに丸山宛にメールで送信した。

2月16日。
丸山との定例の打ち合わせは加藤と一緒に伺った11月以来、四階のラウンジが常席になった。

新刊の打ち合わせだけでなく、『マネジメントの力』の拡販についても打ち合わせをしたかった。12月、1月と『マネジメントの力』は売上が伸びていた。新刊案内をじっと睨む丸山の表情をチェックしながら、どの時点で拡販の話を切り出そうかと、陽子はコーヒーを飲むのも忘れていた。

「この図解の本、面白そうだなあ」
先に口を開いたのは丸山だった。

「主要店のうち2店舗に50冊、3店舗に30冊、指定させてください。どちらにせよ都心のほうが売れるだろうから、この部数で始めて、売れる店が出てきたら主要店から回すようにしたいんだけど…どう?」

「実は私もその数字で提案したいと思っていました」
「そうですか。それと12行目の社長本は、全店分の指定をお願いしたいですね。大丈夫だよね? 刷り部数が多いし」

「どれくらいでしょうか?」
「…そうだなあ。ざっと400冊から500冊の間あたりかな」
「それなら大丈夫です」
「じゃ、2~3日のうちにエクセルシートを送りますよ」
「了解しました」

『マネジメントの力』の売れ行きはどうでしょうか」
恐る恐る聞いたのだが、丸山は力強く
「売れてますね。1月中旬までは在庫が充分でなかったようで追加の入りが悪かったけど、今はずいぶんと積極的になったようだね」
と言って、チェーン一括での注文を出すことを約束してくれた。

自分の担当エリアで力強く売り伸ばしを推進してくれると、始業マンにとってその後押しがとても力になるような気がして、幸先がいいと思った。

3月31日。
いよいよ明日から4月という時、陽子は丸山から神宮球場でのプロ野球観戦に誘われた。
4席分の年間シートを出版社から景品としていただいたので誘ってくれたようだ。河崎も一緒だ。陽子は先輩の河崎に何かと相談している。加藤も誘ったのだがスケジュールが合わなかった。

プロ野球を見るのは、リトルリーグに在籍していた小学校6年生の時以来だった。当時、陽子は本気で野球選手になりたいと思っていた。食べ物や飲み物を持って待っていると、約束の時間に丸山が現れ、そろって球場へと入った。

座席はネット裏のいちばん三塁側寄りで下から10段目。選手の顔がよく見える。選手たちはまだ練習をしている。大学まで野球をしていた河崎はウキウキしている。ふと見ると丸山も真剣な表情だ。二人はじっと選手の動きを追っていた。

ホームチームのシートノックが終わるころ、
「寒かったら上に着て、足元が寒ければ巻いてもいいから」
と、丸山がスタッフジャンパーを陽子に手渡してくれた。寒くない?と、球場に入る際に聞かれていた。
ちょっとした気遣いだったが、陽子は素直に嬉しかった。

いよいよ試合開始。選手たちが肩慣らしのボール回しをしていると、小学生が球審と一緒にマウンドに歩いて行く。始球式だ。ノーバウンドで届くといいな。陽子の心配をよそに、なかなかの速球でストライク。最近の小学生って凄いんですね。

その日の試合はホームランが何本も出る大味な内容だったが、丸山が応援する東京ヤクルトスワローズが序盤のリードを守り続けて勝った。丸山は終始ご機嫌だった。丸山は国鉄時代からのスワローズのファンだと言っていた。
国鉄スワローズってそんな時代があったことを陽子は初めて知った。

球場にいた3時間の間に、食べ物もビールもすっかり平らげてしまったが、その後、渋谷駅の近くまでタクシーで乗りつけ、洋風居酒屋で三人は飲みモードに入った。

その席では翌日から始まるビジネスダービーの話しに盛り上がった。陽子が必ずダービーで一位を取ると宣言した話しを肴にして、丸山も川崎もさらにビールをお変わりしている。
陽子は二人ともどんだけ飲むんだろうとあきれていた。

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