2015年6月26日金曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 1

プロローグ

懇親会
忘年会シーズンが始まる12月上旬、陽子は広い会場の前に設置された表彰台に上がっていた。拍手喝采に包まれる中、携帯のカメラやデジカメのフラッシュが交錯する。
〈おいしい部分をいただいてしまった…〉

ゆっくりと会場を見回してみる。当然と言えば当然だが、知らない顔ばかりだ。
〈何だか気持ちいい〉
それまでの緊張感がスーッと消えていく。実に気分が良かった。
先輩の加藤が担当した時に作った実績という事実も、緊張感と一緒に頭から消えていた。

関東エリアの中堅チェーンである山村書店は、毎年12月に取引先である出版社を集めて懇親会を開いていた。出版社の営業担当者、小田急線沿線に点在する各店の店長、さらに本部スタッフが集まる中、1年間の業績を発表し、景品付きの大抽選会を行う、いわば慰労会だ。

毎年、山村書店の本部から各出版社に、10月の終わりごろ招待状が発送される。T出版にも招待状が届き、営業部のミーティングで検討した結果、部長の鈴木とともに陽子が初参加することになった。

ほんの3ケ月前、加藤から山村書店の担当を引き継いだばかりだった。
会場に着くと、すでに多くの出版社の営業マンや店長たちがドリンクを片手にあちこちで話をしていた。鈴木と陽子がドリンクを受け取ると、会場の右奥の方に歩いていき、空いているテーブルに陣取った。

何人かの知り合いがあるらしく鈴木が軽く会釈をしている。陽子の知らない他社の営業担当者が二人のもとに寄ってきた。
〈こんばんは…〉
軽く挨拶を交わして、初めての人とはすかさず名刺交換をする。取り留めのない話をして、また人が入れ替わる。

丸山がニコニコしながらやって来た。
「いつも何人くらい集まるんですか?」
陽子は出合い頭に丸山に尋ねた。
「出版社から200人、店から50人くらいかなあ。今年もちょっと絞ると話には聞いていたけど、結局、いつもとと同じくらいの人数が集まっているみたいだね」
「大盛況ですね」 

 表彰台
ふいに丸山が、あ、そうかとつぶやいた。
「山岡さん、初めてだったね」
「そうです、初参加です」
なら、ちょうどいいかなと、思いついたように言った。

「今年から趣向が変わってね、山村ダービーの表彰式が加わったんだよ。ビジネスダービーも含まれているから、山岡さん、出てくれないかな?」
陽子のT出版は担当だった加藤を筆頭にチームで戦いその年のビジネスダービー第1位を獲得していた。

当然ながら、表彰台には営業部代表として鈴木が立つものと思っていた陽子は、この急転直下の提案に心臓がドキドキし始めた。
「無理ですよ! 鈴木が来ていますから。私の実績でも何でもないですし…」
陽子が拒むと、丸山はニヤッとした。

「表彰式では4人の方にご登壇願う予定です。一人は代表取締役会長、もう一人は営業推進部長です。どちらも男性なのですが、もうひと方は本部担当の若い女性が出ることになっています。全体のバランスを取るためにも、山岡さん、ぜひ登壇してくれませんか?」

部長、いかがですかと振られた鈴木は、それで結構ですと丸山に笑顔で答えた。
え。
私、今年の春に入社したばかりのペーペーなんですけど…
おかしくてたまらないといった表情で、丸山はさすがですねと鈴木を褒めた。

「ではよろしくお願いします。少しだけスピーチを要求されるかもしれませんが、その時は適当にお願いします。時間になったらお呼びしますから、それまでお酒と料理を楽しんでください」
「は、はい…」

そういえば以前、書店回りの際に営業部の先輩が教えてくれた。
書店からもらう表彰状は、出版社の営業マンにとって貴重なもので、言ってみれば勲章みたいなものだと。

〈勲章か…凄いなあ加藤さんは。フォローした営業部や会社も凄いけど〉
気がつくとプログラムが進み、いよいよ表彰式が始まった。
最初に雑学ダービー第一位を獲得したK社が呼ばれ、次にビジネスダービー第一位でT出版が呼ばれた。

スピーチ
ガチガチの様子を見ていたのか、丸山はまるでお姫様に接するように陽子の手を取り、壇の手前までエスコートしてくれた。恥ずかしいのと緊張感で、爆笑する周囲を見ることができず、陽子は下を向いたまま赤面していた。

壇上に4社が並び、順番に表彰状と副賞を受け取る。次々にフラッシュがたかれ、司会者から
「ひと言コメントを」
とお願いされると、受賞社の代表はそれぞれコメントする。おじさまたちのコメントは立派ですごく長かった。

〈あんなに喋れない…どうしよう〉
「では次に、ビジネスダービー第一位のT出版の山岡さんから、ひと言コメントをいただきます」
陽子の番だった。ええい。

「T出版の山岡でございます。このたびは素晴らしい賞をいただき、一同感謝いたしております。実はつい最近、担当になったばかりです。前任者の仕事での表彰で、こんなに晴れがましい壇上に上らせていただきました。山村書店の皆様、本当にありがとうございます。改めて御礼申し上げます」

次の言葉が出て来ない。決めていた台詞は、そこまでだった。
「…えーと来年は…来年はですね、自分の力で第1位を勝ち取り、2年連続でこの表彰台に上ります!」

その瞬間、会場がオォーッと湧いた。隣に立っている会長さんもびっくりしている。
〈しまった…〉
遅かった。どうしていつも良く考える前に、口から出るんだろう。

陽子は覚悟を決めた。宣言したからには何が何でも1位を取ろう。ペーペーだろうと何だろうと関係ない。後悔という字は昔から嫌いだった。
満場の拍手の中、苦笑する鈴木や、親指を立てて「よし、男らしいぞ」と叫ぶ丸山が見える。

私、女なんですけど…

とりあえず明日からまた、営業頑張ります!

0 件のコメント:

コメントを投稿