2015年6月12日金曜日

書店発ベストセラーのつくり方 11

11.閑話球題

 プロ野球観戦の会
さわやかに晴れ渡った5月のある日、大前は西武球場のバックネット裏の観客席の一番高い場所に立っていた。
〈風が爽やかで、とても気持ちがいい〉

この位置から見ると球場のすべてが視界に収まる。芝生の緑と土の色、内野外野のシートの色のコントラストがとても鮮やかだった。
傍に立っていた女性の係員に入場券の提示を求められ、入場券を見せると全員をシートまで案内してくれた。
〈至れり尽くせりだ〉

球場前の正面入口から左にそれて、坂道を登っていくと、途中に係員が居て入場券の提示を求めた。丸山が人数分のチケットを渡し、チェックを受けた後で全員に一枚ずつ渡した。

さらに坂を登って、ちょうど来たところと反対側と思える地点にまで登り詰めると、ようやくそこに目指す入口があった。そこで半券を切ってもらい4人揃って球場に入ったのだった。

ネット裏の年間シートだと事前に説明されていたが、想像していたシートとはまったく違って、座ると身体が沈み込んでいく大きなソファーだった。

「こんなのありですか、初めてですよ、こんなシートは…」
鈴木がびっくり眼を見せて言った。初めてこのシートに座ると、最初は誰もがびっくりするのかもしれない。丸山がにやにやしていた。丸山は何回か経験しているはずだ。

さあ、どこでも良いですから座って、座って…丸山の言葉に従って、思い思いの席についた。
シートに座って、グランドを何気なく見ていると、
「今練習しているのは日本ハムの選手だよ。今日の試合は日本ハム対西武だ」
と隣の席に座った大場が小声で言った。

「今日の先発はダルビッシュと涌井…」
大場が続いてささやいた。
「今のプロ野球で一番のピッチャーがダルビッシュだし、西武の涌井も日本を代表するピッチャーなんだ。そんな二人が同時に先発をする試合は一年に数回しかなく、こんな試合を見ることができるなんてとってもラッキーだよ…」
丸山が誰にというわけでもなくすこし大きな声で言った。

「私もとてもうれしいです」
鈴木も素直に喜んでいる。
〈彼も野球に詳しいのかもしれない〉
大前ほとんど野球の知識はない、そんな自分でも楽しめるのだろうか…

ご接待
雑学系文庫の全店フェアは接戦が続いていた。1位と2位の差が非常に小さく、最後まで接戦が続いた。大前も大場も鈴木も松原もめちゃくちゃ頑張っていた。このプロ野球観戦の会も丸山らしい作戦なのかも知れない。

あいにくと松原が会社の用事があって不参加だったが、本物のダービーの直線での本命と対抗の激しい火の出るようなたたき合いで、もしかしたらできたかもしれないしこりを水に流そうと画策したような気がする。

「うちの会社でこんな接待ができるのはどうして?」
大場がなにげに言っている。
「上司が調達してきたチケットなので何とも言えないけど、領収書があれば後は何とかすると言われた。ほんとは鈴木さんと松原さんを招待したかったんだけどね。仕事があると言われると仕方がないから、代わりにそれなりに頑張った大場を呼んだのさ」
「私はそれなりに頑張った代用品ですか」
大場がそんなふうにすねたふりをした。

入口で渡されたパンフレットを見て、丸山が客席係を呼んで飲み物と料理を注文をした。
「何はともあれ野球観戦にビールは欠かせない」
と言いながらビールを先に持ってくるように言った。
とんかつサンドがこの席での丸山の定番らしく、全員の分を頼んでいた。それほど待たされることなく、何種類かのつまみとともに客席係がビールを運んできた。
これは何回か接待に使ったなと大場は邪推した。

「ここの料理と飲み物は、七回終了時点でオーダーストップになるので、それまでに飲んだり食べたりしてちょうだい。必要なら追加の料理も頼むんで私に言って…」
丸山もこの試合の観戦を本当に楽しみにしてきたらしく、とてもにこやかに説明をしてくれた。

とりあえず乾杯をしましょう…丸山がみんなの顔を見まわした。
「全店フェアでは最後まで激しい競争があったが、しこりを残さず仲良くお互いに頑張るよう、よろしくお願いします。では、雑学ダービーに乾杯!」

大場流野球観戦
試合は6時から予定通りに始まった。一流のピッチャーの球を打つのは難しいらしく、あまり得点が入らず膠着した試合になった。丸山も鈴木も大場も緊迫した投手戦を楽しんでいた。そして、大場流の野球観戦は素人の大前にとってもとても面白いものだった
ピッチャーが投げた球種の解説をしてくれたり、次に何を何処に投げるか予想してみたり、次はこの球がくるから狙って打つべきだと言ったり…。一球ごとに期待を持たせてくれる話しぶりをしていた。

バックネット裏の席の特徴はピッチャーの投げる球がよく見えることと、打った瞬間どこに飛んで行くのかがよく見えることだと大場は言った。
〈確かに見やすい位置だと思う〉
次は変化球だからね…と予想を聞き、注意してピッチャーの投げる球を見る。すると投げたボールが曲がるのが自分の目で確認できた。今のはカーブだよと言われて「ふーん」と納得した。

次はストレートだからね…と言われてじっと見ていると、ギューンという感じでボールがキャッチャーのミットに飛び込んでくる。そのスピード差がとても面白かった。不思議なことに大場の予想した球種が当たる確率はずいぶんと高かった。

一つひとつのプレイに対しても大場が解説をしてくれた。その解説はとてもわかりやすかったので、大前でもゲームの流れに楽しく入り込めた。なんでなんだろうと不思議に思って聞いてみた。

「大場さんの説明はとてもわかりやすいんですが、どうしてでしょうか」
「実は以前に少年野球のコーチを手伝っていたことがあって、野球に関しては小学生向きに話す訓練ができているんだよ。だから分かりやすいんだろうと思う」
〈そういうことか、私は小学生程度のレベルなのか…〉

物事をやさしく説明するってとても難しいことなんだろうけど、確かに小学生に分かってもらおうと話すといいのかもしれない。
〈うん…これは仕事にも通じる。説明力か…〉

大場は180センチを超える長身で、156センチの大前が隣に一緒に並ぶチッチとサリーかとよくからかわれることが多かった。そうか彼の体は野球で鍛えたものなんだと改めて気づいた。

試合は両投手の緊迫した投手戦が続き、何とか食らいついていく両チームの打線が少しずつ苦労して得点を重ね、2対2のまま終盤戦にもつれこんでいった。

丸山も鈴木も大場もたくさん食べてたくさん飲んで、何回もビールのおかわりをした。一番飲んでいるのは一番年寄りの丸山だ。元気なお年寄りを地で行っている。とんかつサンドも唐揚げも他のおつまみもきれいに平らげていった。

7回を目前にして、オーダーストップの前に多めに飲み物を注文して、これは9回までの分と言って丸山が笑っていた。そして、それまでの注文分をまとめて領収書を切ってもらった。
「へえ、領収書がもらえるんだ。こういう接待のやり方もあるんですね…勉強になります」
鈴木もびっくりしていた

送りオオカミ?
9時半の池袋行の急行に乗って帰ろう…隣に座っている大場にささやかれた。
「丸山さん、急行に乗って彼女を送っていきます。よろしいでしょうか」
「大丈夫。私が最後まで責任を持って鈴木さんと一緒にビールを飲み干すし、観戦結果はまた話す機会もあるだろうから」

大場と丸山の会話を聞いて鈴木が意味深な発言をした。
「送りオオカミなんてなしだよ」
「大丈夫ですよ。それではお先に」

6時開始で3時間半経過して、まだ2対2のまま動きがない。試合が終わったわけではないので、急行電車の客席はまばらで、余裕で座席を確保して池袋まで直行した。二人はボックスシートにならんですわった。

もしかしたら延長戦になるかもしれないし、最後まで見ていると帰るのが遅くなってしまうのを気にして、試合の途中で帰ろうと言ったのは、多分大場の気遣いだろう。

たわいない話と仕事の話を繰り返しながら時間は過ぎていき、車内アナウンスがもうすぐ池袋に着くことを知らせた。

「今日は楽しくさせてもらってありがとうございました」
「いやいや、どう致しまして。本当のことを言うと丸山さんからお誘いがあった時、大前さんと一緒に参加できるならと喜んで参加しました。今度は二人で飲みに行きましょう」
「そうね、それもいいかも」
大前も機嫌よく答えた。今度メールしますと言う大場はとっても爽やかだった。

電車を乗り変えて新宿駅に着き、電車を降りる段になって、
「じゃあ、今日はこれで。気をつけてね」
と、思いのほか簡単な別れの言葉を告げられ、大場は東に、大前は南に向かう電車に乗ってそれぞれの家路についた。


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