2015年6月10日水曜日

書店発ベストセラーのつくり方 8

8. 塾生たちの計画

 雑学ダービー
全店フェアの文庫ダービーのキャンペーンが新記録のペースで売れ続ける頃、銘柄の選に洩れた出版社の担当者が丸山のところにやってきた。
「うちにもチャンスをくださいよ、以前は雑学系の文庫作品で、全店で仕掛けて売っていたじゃないですか」
とぼやかれ、企画書作りが始まった。

文庫ダービーのよかった点は何か。やはり、全店フェアでしょう。
ノミネート作品を集め、選定会議で絞り込み全店フェアを開催する。
第一位に輝いた作品をキャンペーンで売り伸ばす。

同じパターンで始める雑学ダービーでは、企画をステップアップさせるために、ひとつ工夫を加えることにした。

雑学系文庫の出版社の特徴を考えて、彼らの力を十分に発揮させたいという考えが強く浮かんできたのだ。それと同時に、店の担当者なりの、売りたい気持ちを表現できるような仕組みも作りたいと考えた。
そのために、今回は最初の投入冊数を少なくして、店に自由に追加手配をさることにした。
また、そのことを出版社の方にもお知らせして、柔軟に動くことが可能な営業力の利点を生かして、売り伸ばしを強力に推進してもらうことにした。

企画書は新年会に間に合うように作成した。

このような経緯で丸山の企画で始めた雑学ダービーは、すでに何回か開催されて、それなりの販売数を稼ぐ全店フェアとして確立していた。
今年も例年通りの運用基準で開催される予定になっている。

雑学ダービーは1月末までにノミネート作品が集められ、2月上旬に全店フェア銘柄が選定され、2月の下旬に商品を搬入する。
今回も商品が到着次第拡販体制に入れと指示が来て、売上は2月25日からカウントすると明記されていた。

大前の計画
大前は以前から内容に興味があり、自店でも長く売り伸ばしていた『こころのコーチ』を店の文庫担当推薦枠でノミネートした。
先輩社員には、自分の推薦作品が取り上げられて、しかも、第一位を取れると文庫担当としての評価が高まると言われている。

大前自身は評価のことは全く気にしないで、純粋にこの作品をお客さまに紹介して、もっと多くの方々に読んでほしいと思っている。
雑学ダービーに取り上げられると、お客さまの目に留まるチャンスがとても大きくなる。

どうしたら全店フェア銘柄に取り上げられるのか、丸山に聞いてみた。すると選定会議の基準とフェア銘柄に残りやすくなる方法を教えてくれた。
全店フェア銘柄に推薦される基準は次の4点。

・5000冊以上売れそうか
・大量多面陳列して映える装丁か
・推薦者の強い押しは感じたのか
・参加メンバーの強い押しはあるのか

そして、フェア銘柄に残りやすくなる決め手は、複数推薦だと言われた。
推薦者の強い押しとは出版社の営業マンの押しのことで、参加メンバーの強い押しとは店文庫担当者の押しのことだ。
この2つが揃うと4つの基準の半分を満たす。フェア銘柄に残る可能性は非常に高くなるはずだ。

大前は出版社の担当者を巻き込むことで、出版社推薦枠と店担当者推薦枠の二重推薦にしたいと考えた。
そして、選定会議には必ず出席して、自身の大きな声でこの作品を押すことにした。

月に一度は店に来る営業担当と、打ち合わせをしたいと待っているところに、出版社の担当者の鈴木がやって来た。
文庫売場の一角で二人は営業の話しはそっちのけで、雑学ダービーで第1位を取るための相談を始めた。

「雑学ダービーは何を押すんですか」
大前の直截な質問に戸惑いながら鈴木は正直に答えた。

「まだ社内での相談がまとまっていないのですが、自分としては『こころのコーチ』を押したいなと考えています。最近の売れ行きも良いし、この作品のテーマは沿線のお客さまにうってつけだと思いますから、客層的に勝負できるのではないかと考えています」
「そう、よかった。実は私もこの作品を店担当者推薦枠で押そうと思っていたんだ。丸山に聞くと、出版社担当者との複数推薦があると、全店フェア銘柄に残りやすいと言っていたので、鈴木さんにもノミネートしてほしいなと思ったんです。今日はそれを確認したかったの」

「そうですか、社内の打ち合わせは次の月曜日なので、何とかしたいと思います。出版社推薦枠は2つありますので、多分、一つは営業担当の推薦が通ると思います」
「よかった。よろしくお願いします」
「またどうしてそんなことを考えられたのですか」
「やっぱ、自分の推薦作品で第1位を取りたいと思ってしまったんです。丸山の影響かな。話を聞いて自分も売り伸ばしをして書店発ベストセラーを作りたいし、ダービーで1位を取ったら可能性が高まるとも思ったんです。大場との対抗心もすこしあるかな。」

「うちの会社は御社の企画にほとんどすべて参加させてもらっているんですが、これまで一度も一位を取ったことがないんです。ですから、第一位を取るのが歴代の御社担当者の共通の願いにもなっているんです。ですから、今度こそ、と言う気持ちで頑張りたいと思います。こちらこそよろしくお願いします」
こうして大前の願いは叶いそうな雰囲気になってきた。あとは選定会議が待っているだけだ。

 大場の計画
大場は先週の飲み会で、松原の熱く語る話しを聞いていた。
「うちの文庫はシリーズとしては棚も確保できていないので、とっても肩身の狭い思いをしています。だけど単発の作品の勝負なら負けない自信があります。今度の雑学ダービーにノミネートして全店フェアで戦って、大手の文庫出版社に一泡吹かせてあげたいと考えています。大場さんぜひ協力してください」

「そうは言ってもなあ。お宅の出版社の本を売っても、あまりメリットを感じないんだよ」
「そこです。確かにメリットなんて何もありません。だけど、大手の出版社やビジネス系の出版社はいつでもチャンスがあるじゃないですか。うちの会社は今ここでしか勝負ができないんです。我々みたいな小さな出版社にも、勝負するチャンスを与える度量を示すのも男としては大事なことじゃないでしょうか。」

「男の沽券に話を持っていくのかい」
「まあそれはなしにしましょうか、小さな出版社の単品でしか勝負できない作品で第1位を取って、またおいしい酒を飲みましょうよ」
「そんな買収話には乗りませんよ。でも、どんな作品を考えているんですか」

「『笑って生きる』です。まさに私の人生訓そのままのタイトルだし、大場さんもいつもそんなようなことを言ってたじゃないですか」
「ああ、そういうことも言ったけど。あれって、もしかしてうちの店で結構売れている作品かもよ」
「そうですよ、前に50冊入れてもらって、消化率がいいと喜んでいた作品です。それに、私が出版社推薦枠でノミネートしても、なんの後ろ盾もない出版社ですから、それだけでは落とされてしまう危険性が高いんです。だから大場さんにもノミネートしてもらって、複数推薦をお願いしたいんです。そうすれば全店フェア銘柄に残れると思うんです」

「へえ、そんなこと誰に聞いたの」
「この間、丸山さんにこっそり教えてもらったんです」
「丸山がそんなことを言っていたのか。じゃあ、うちの店の売れ行きを見て、消化率が良かったら、店担当者枠でノミネートしてあげるよ。それでいいでしょう」
「はい、よろしくお願いします」

翌日、大場はデータをチェックしてみた。確かに50冊入れたものが、今では60%の消化率になっていた。
これだけ売れているなら、ノミネートしてあげようと言う気分になってきた。

2月上旬の雑学ダービーの選定会議は文庫担当者が15~6名が参加して行われた。
その中に自分のおすすめ作品をノミネートした大前も大場もいて、自分たちのノミネート作品について熱く語っていた。

複数推薦が有効に働いたのか、熱弁が他のメンバーに届いたのかは不明なのだが、二人のノミネート作品は全店フェア銘柄に選ばれた。
これが両者の泥沼の戦いの始まりだったのだが、この時点ではお互いに気付かず、二人とも自分が勝つことしか意識していなかった。

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