2015年6月7日日曜日

書店発ベストセラーのつくり方 2

2. 塾のスタート

 集合
クリススソングが商店街に響き始めた。そんな11月中旬、薫は早めに仕事を切り上げて、店のはす向かいの雑居ビルの2階にある喫茶店にやってきた。

夕方の割に空いていて、ボックスシートも空席が目立った。薫は店の奥の窓際の席に座って待機の姿勢に入った。

一人ふたりと若手のメンバーも集まって来た。彼らは今日から始まる丸山塾の塾生たちだ。薫もメンバーの一人として塾に参加することになっている。
薫は彼らとはこれまでほとんど交流がなく、顔見知り程度でしかなかった。男性が3名、女性が3名、合計6名が集まった。

文房具店をやめて入社して1年3ヶ月が過ぎた。だんだんと書籍の仕事にも慣れてきたが、まだまだ知らないことも多い。
丸山は本社の所属なのだが、店のオープン以来、週に2~3回店に通ってきて、商品面でのアドバイスや販売方法の工夫について支援してくれている。


薫は書籍の担当は初めてだったので、丸山の具体的な指導は非常にありがたかった。
文庫新書の仕掛け売りの展開は、ほとんど丸山におんぶに抱っこの状態からスタートして、ようやく自分なりの判断が少しずつできるようになってきた状態だ。

昔から繁盛してきた街にあるこの店の客層は普通の店とはちょっと違って、比較的年齢層が高い傾向がある。だから客層に合った商品を発掘しないと売り伸ばせないかもしれない。
文房具でも仕掛け売りはあったが、やはり書籍とは違うし、価格訴求で商品を売ることも多くあった。そうした面でいまいち戸惑いがあって、最初はうまくいかないことが多かった。

価格訴求ができない分、商品自体の魅力をお客さまに如何に伝えるのか、パネルやPOPの使い方、陳列の良し悪しが販売数に大きな影響を与える。
売れる商品は勝手に売れていくこともあるし、いくら気に入った商品でどんなにPOPを工夫しても売れない商品は売れない。
その辺の見極めがまだまだ甘い…社長にも小言を言われたばかりだ。

 自己紹介
「薫ちゃんこんにちは。元気?」
考え事をしていて丸山が店に入ってきたのに気付かなかった。丸山に先に挨拶されてしまった。ちょっと軽薄な感じだけど、随分と元気な声だった。壁にかかった時計を見ると待ち合わせた時間通りだ。

初めて会った席で社長から紹介され、丸山の経歴を説明されたが、自分にしてみればはるか雲の上の人のような存在感を感じた。
「こんにちは丸山さん、今日はよろしくお願いします」
薫が挨拶を返したところで、ウェイトレスがやってきた。
丸山がアイスコーヒーと言ったので、薫が注文した。

丸山が周囲を見回して話し始めた。
「今年の年末、60歳になっちゃいます。もう60歳なのかと考えたらちょっと感慨深くなっちゃった。それで、40年近く携わってきた本屋での経験、知識、ノウハウを若手に伝えたいと思った。関係者と話し合って、ようやく最近になって文庫新書の担当から始めることになった。そこで君たちが集められたわけだ。君たちが最初の丸山塾の塾生です」
〈40年近くも携わっているといろんな経験をしたんだろうな〉

「若手と言っても若干歳くったように見える人も交じっていますが、文庫担当としてはまだ一年生なので参加してもらっています。あまり馴染みがない人もいるでしょうから、まずは、自己紹介からスタートしましょう」

薫ちゃんトップバッターお願いできますか…と丸山に言われた。
席を立とうとしたら、座って、座ってと言われた。

「山中です。B店の文庫担当です。開店からの3カ月間は丸山さんに応援していただいていたので、大変助かりました。今は週に2~3回だけ来て応援をしていただいています」
「人の紹介はいいから、自己紹介をして…」
丸山に突っ込まれた。
「失礼しました。文房具の担当を長くしてきましたが、最近ようやく書籍のジャンルに慣れてきたように思います。得てしてこんな時期にポカをする人がいると聞いていますので、注意して仕事をしようと考えています。26歳独身です。よろしくお願いします」
「彼女はなかなか芯がある人です。知性があります」

丸山から意味の分からないようなフォローがあって、
「次は、隣に座っている加納さんお願いします」
とご指名があった。
「A店の加納と申します。今年入社の1年生です。大型店で忙しい毎日を過ごしているので、時々自分が何をしているのかわからなくなるようなこともありました。最近になってようやく慣れたところです。そんな人間ですのでよろしくお願いします」

次から右回りにお願いします…丸山の発言に川越が反応した。
「C店の川越です。2年目です。文庫担当になって1年半、まだまだ駆け出しです。ここで勉強させてください」
「D店の山崎英次と申します。長いこと語学書の担当をしてきましたが、今の店に異動してから文庫新書の担当になりました。文庫新書は詳しくないので勉強したいと思っています。ちょっと年はくっていますがよろしくお願いします」
「E店の大場道夫です。入社2年目です。よろしくお願いします」
「F店の大前さやかです。今年入社しました。加納さんとは同期です。仕掛け売りはあまり得意ではないので、勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします」

 講義開始
自己紹介が終わって、丸山の講義が始まった。
配布されたテキストはA4のコピーで作成されていて、縦書きで右側にパワポのシートのコピー、左側にの解説文がついているスタイルだ。表裏印刷で約20ページあった。
みんなで1ページずつを分担して順番に回し読みをしていき、一人3回とちょっと読んで終了した。

テキストのタイトルは「目利きになる」だった。新人時代の経験をもとに私たちに要求される資質と技術を書き下ろしたと丸山が言っていた。
テキストを回し読みした後で質疑応答があってほぼ1時間が経過した。

納得した表情と不安な表情が塾生たちの間で交錯しているように見えたが、丸山がまた話を切り出した。
「今後のスケジュールについて確認しておこうと思う。これからもテキストによる講義は毎回会合のたびに行うのだが、同時進行で君たちには書店発ベストセラーの発掘を実践してもらおうと考えている。各自、取り上げる素材を見つけて、売り伸ばすための計画書を作って、それに基づいて売り伸ばしの実践をしてもらう。ぜひとも自分の店で強い売上を作ってもらいたい。どうかな?」

薫がちょっと気になったので質問した。
「書店発ベストセラーというのは、具体的にどういうものなのでしょうか?」
丸山はうんと頷き、一呼吸置いた。

「今から…そうだなあ、何十年前になるかな。神保町のある本屋さんが仕掛け売りをして、一店舗で数千冊を売った本があった。これを出版社の営業担当者が他の書店に広め、全国的に売れだして、確かミリオンセラーになったと聞いたことがある。私はこれが書店発ベストセラーの最初だと思っている」  
ノートに神保町、数千冊、とメモした。

「特定の書店で通常考えられないような実績を作り、その実績をもとに出版社の営業が全国的に仕掛け売りの輪を広げ、結果的にベストセラーにするスタイルを、私は書店発ベストセラーと呼んでいる。実際には他にもあったのだろうと思うが、この本以来、仕掛け売りをしたがる書店員が増え続けているし、出版社も意図的にベストセラーを狙って書店員にアプローチするようになったと思う」
〈ベストセラーを狙う書店員…なんとなく憧れます〉

 経験談
「今回、書店発ベストセラーづくりに挑戦して、自分の店で300冊とか500冊だったとしても、私は成功だと思う。1000冊の計画を実施して1000冊売れる本が作れれば、それも成功だと思う。どちらも、売り伸ばしの技術をマスターしたと判断できるだろうから」  
〈確かに、500冊でも凄い〉

薫は出版社の営業マンと一緒にどこかのインタビューに答える自分を妄想した。なぜ自分も一緒にいるのか。まあ、そんなことはどうでもいいか…

「しかし、出版社のメンバーとの協力体制ができないとベストセラーにはならない。そういう意味では出版社を巻き込んだ活動をしないといけないので、今までの仕事のレベルを一つ越えた活動になると思う。この業界にいてベストセラーを作るというのは、誰もが願っている夢だと思うんです。その夢を叶えてくれる方が一人でも出てくれれば、私にとってそれに勝る喜びはありません」  
「丸山さんは書店発ベストセラー作ったことあるんですか?」
熱を帯びてきた丸山に川越からとってもストレートな質問があった。

書店発ベストセラーか…と丸山がつぶやきながら、遠くを見つめるしぐさを見せて再び語り始めた。

売れ筋の本を発掘して、自分の店で影響力の強い売上を作って、それが他の書店に波及してベストセラーになることは何度かあった。
90年代に『子どもが育つ魔法の言葉』という本があって、当時在籍していた店の中心客層とどんぴしゃに合う作品だった。とにかくよく売れたし、まさに飛ぶように売れていくと言う表現がぴったりはまったと思うほどよく売れた。

ジャンル担当が休みの日に入荷便の片づけをフォローしていたのだが、その時、追加注文で入荷してきた30冊を発見したのが始まりだった。
表紙を見て、ピーンとインスピレーションが湧いて、店の入り口のおすすめ本コーナーに6面積みで目立つように並べ、POPもつけて販売を開始した。

子どもの教育に関心の高い高級住宅街の店にジャストフィットすると思ったし、この店で売らなければどこで売るとも思った。だから商品を並べ終わったばかりに、すぐに100冊追加注文の手配を済ませた。

入店してきたお客さまがその本を見ると、何気に手に取る人が多い。タイトルが直接心に響くのか、奥さまたちが私も、私もと買っていく様子が窺えた。
追加注文が入荷するまでに30冊は売り切れてしまったのだが、100冊入荷してからは少し落ち着いて販売することができた。翌週の週間ベストの1位にランクインする売れ行きを見せたので、その後は追加注文を繰り返して在庫を維持していった。

この商品はチェーン店内の他店では仕掛け売りをしている店がなく、売上はダントツの一位を数週間キープした。その後、この店だけで異常に売れていることに気付いた他の店が追随して売り始め、特に4倍以上の売上規模の一番店が売り始めると順位は二位に下がった。
週間ベストに入る店がどんどん増えていき、著者来日もあったり、皇室がらみの記事も配信されたりして、『子どもが育つ魔法の言葉』は全国的に売れるベストセラーとなった。

担当者には「絶対売り切らすな」と言いながら、何回となく品切れを起こしてしまった点は悔いが残る。品切れは仕入れ技術の未熟さの現れ。担当者を何回叱ったことか…
それでも3ヶ月で350冊、10ヶ月で1000冊越えして、単店で初めて0.1%のシェアを実現した。その後『子どもが育つ魔法の言葉』はメディアへの露出が頻繁になり、パブに乗りまくって、ミリオンセラーになった。

 0.1%のシェア
丸山の説明が終わってすぐに川越が反応した。
「10ヶ月で1000冊越えして、単店で初めて0.1%のシェアを実現したとありましたが、どういうことなんでしょうか」

昔からシェアということを意識して仕事をしてきた…と言って丸山がまた説明モードに入った。

チェーン全体が何%のシェアを持っているのか。一番売る店のシェアは何%か。本部での仕事の目安として大事な指標だと考えて、ずっと使ってきている。
だから仕掛け売りをするにしても、どのくらいのシェアを取れたかは重要な要素だと考えてきたし、超大型店は別として、普通の店で0.1%のシェアを取るってものすごいことだと思っている。
チェーン全体のシェアが1%だとすると、そのうちの10%を占有できれば0.1%になるはず。0.1%のシェアの店で1000冊売れば、トータルでは100万冊になる。 
そんな目安をいつも意識して仕掛け売りをしていたので、つい言葉に出てしまったのかなと思う。
これから、10万部計画だとかミリオンセラー計画だとか、そうした言葉を耳にする機会が増えると思うけど、自分の店で1000冊売ったら出版社では何冊になるのかを想定できると、出版社の目線を意識した仕掛け売りができると思う。

ただ、仕掛け売りをして異常値の売上を作ってシェアを計算してもあまり当てにはならない。他の店でも同じように仕掛け売りをしているのなら当てになるけどね。
まあ、それでも想定は出来るだろうから。これってかなり重要なことだと思う。
経験上、シェア1%のチェーン店で1000冊売れば、ほぼ7~8万部くらいにはなると思う。
反対に10万部突破と言われているのに700ぐらいしか売っていないとすると、努力不足って言われても仕方がないだろう。
そんな数字の捉え方を出来るようになればいいと思う…こんなところでどう?

質疑応答が終わり、次回の会合日を決めて一回目の会合は終了した。喫茶店を出て、通りに出ると川崎から声がかかった。
「さて、居酒屋に繰り出しますか!」
書店発ベストセラーという言葉が頭に残ってぼんやり歩いていた薫は、ハッと我に返った。すると丸山が、行きますぞと、薫の肩をポンと叩いた。

みんな揃って近くの居酒屋に繰り出した。
「山崎君、乾杯の音頭よろしく」
丸山から指名を受けた一番年長の山崎は、皆さん行き渡ってますか、と、ビールを確認する。そして一段大きな声を発した。
「では皆さん、とりあえず乾杯しましょう。これまで晴れがましさが全くない地味なジャンルばかりを担当してきたので、こんな席にいることが誇らしい気分になりました。それでは、ご唱和ください。未来のベストセラーに乾杯!」  
かんぱーい! 
カチンカチンとグラスが鳴る。
「おなかが空いた」
と騒ぐ加納と大前に、相槌を打つ大場。しばらくはみんなで飲み物と食べ物に没頭した。

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